MIYAGI

INTERVIEW

先輩移住者インタビュー

掲載日:2019年12月4日
更新日:2023年2月21日

村田町

生粋のハマっ子、蔵のまちに現る /森田雄士さん

  • 地域おこし協力隊

森田雄士さん

ゆったりと暮らせる環境を求めて

町役場と小学校が同じ敷地内に建つ村田町。役場で待ち合わせをした森田雄士さんと移動中に、「あ、お父さん!」という声が。小3の娘さんが、友だちとじゃれ合いながら下校するところでした。転校して半年あまり、すっかりなじんだ様子です。

森田家は小5の男の子を筆頭に、小3、小1、年中組の3人の女の子がいる6人家族。2018年12月に横浜から移住してきました。森田さんは村田町の地域おこし協力隊第1号です。
飲食店で働き、将来は自分の店を持ちたいと考えていた森田さんは「本当に横浜でいいのか」と疑問を抱いたそう。もっとゆったりした環境で、生き生きと自分らしく仕事ができる場所があるのでは。そんなとき、宮城の川崎町が開催した移住ツアーを知り、参加。これをきっかけに、地方の暮らしに興味を持ちます。宮城県は奥様の生まれ故郷でなじみもありました。
東京・有楽町にある「ふるさと回帰支援センター」で宮城への移住希望を相談。ここで町の活性化のために地域外の人材を受け入れる「地域おこし協力隊」の制度を知り、宮城県でも多くの募集があることが分かりました。当時まだ協力隊が一人もいない村田町を候補とし、家族で実際に訪れて移住を決めたそう。

魅力と可能性に満ちた村田町

決心させたのは、「みちのく宮城の小京都」と呼ばれる美しい蔵の町並み。藩政時代、紅花交易で繁栄を極めた商都の賑わいを今に伝える通りです。重厚な門や蔵、伝統的な「なまこ壁」は文化財としても価値が高く、森田さんは一目見て好きになったとか。「町のまんなかにこんなにカッコイイ蔵が建ってるなんて、驚きでした。商売としても可能性があると思いました」。しかも町としてまだやっていないことが多いのではないか、すごいポテンシャルがあるはずだ、とワクワクしたそう。
森田さん自身に田舎暮らしへの不安はまったくなく、心配があるとすれば転校することになる子どもたち。「でも、なぜか全員乗り気でしたね」と振り返ります。
仕事は「株式会社まちづくり村田」へ出向の形で、同社のサポートをしながら地域交流を深めること。とはいえ、「第1号」ゆえに先例がなく、最初の3ヵ月ほどは「焦った」と話します。会社の手伝い以上のことができず、何から手を付ければいいのか分からない、実績が作れない…。
でも、持ち前のバイタリティとコミュニケーション力の高さで、ガンガン突き進むのに時間はかかりませんでした。近隣町村へ視察に行き協力隊の活動の可能性を探ったり、町内の住人を訪ねて回り話を聞いたり。町にはどんなコンテンツがあるのか、足りないものは何かを明らかにしようと動きました。早くも、町内で開かれるマルシェで窯焼きピザを出店したり、移住ツアーを計画して実際に人を呼んだりと、独自の活動を行っています。

子どもがつないでくれる縁

横浜と村田町。気候や習慣、言葉なども大きく異なる環境で、難しいことはなかったのでしょうか。
「ん~、困ったことって別にないんですよねぇ…」と森田さん。「東北の人は壁があるっていう人もいるけど、僕は感じなかったし。横浜のときと変わりませんよ、同じ人間(笑)。ただ、人との関係はより近いですね」。
町を知ろうと、とにかくたくさんの人を訪ねて回った最初の頃。「地域おこし協力隊」という肩書きに不慣れな住人たちは、やはり少し戸惑いを見せたそう。「でも、しゃべってるうちに、たいていウチの子の同級生のおじいちゃんおばあちゃんか、親戚ってなるんですよ。そうすると、後は話が早いですよね(笑)」。子どもを通して仕事も人付き合いも広がり、地域にも早くなじめたのは間違いない、と言います。「子どもが4人いると分かると、ちゃんと仕事はあるのか、って心配してくれたり(笑)、店始めるなら場所を紹介するよって持ちかけてくれたり、本当に親切にしてもらっています」。

町の財産を発掘、発信。そして自分の店を。

将来のビジョンは明確です。3年間みっちり協力隊として活動した後、飲食店を開くのが最初の目標。さらに、近くにゲストハウスの開設も構想しています。
どちらも、建物は村田町らしく古民家風に。ゲストハウスはこじんまりと、2、3組だけ受け入れよう。夜はうちの家族も混ぜてもらい、ご近所や地元の人も誘って交流会を開きたい。店の食材はもちろん地場産のものを多く使い、できれば自分で畑もしたい。手の届く範囲で商いをして、せかせかしない生活をしよう。森田さんの頭の中にはすでに3年後の風景が見えているかのよう。
それまでの間、村田町の活性化に全力を注ぎ、知識を深め人脈を広げることに専心します。カギは「僕らの同世代がどう動くか」と森田さん。「まちづくり会社だけが旗を振るんじゃなくて、住人の、特に若い世代が主体となって盛り上げなければ、観光客が増えないばかりか住人も離れていってしまう」。
町には蔵通りの景観や農産物だけでなく、日本酒や納豆、味噌など特に発酵文化が発達し、非常に高い技術力を誇るメーカーがあります。「町の財産をもっと生かしたい。ただ、その魅力を地元の人があまり自覚していないのがもったいない。ヨソモノである僕がまず彼らに伝えたいです」。
移住しやすい環境を作るため、移住者同士のネットワークを作る事業も計画しています。実は移住者はたくさんいるのだけれど、それぞれが自分で仕事を持っている人が多いせいか、横のつながりが希薄だと感じるそう。移住者がゆるやかにつながることで、自分たちが暮らしやすくなるだけでなく、移住希望者への情報発信ができるのもメリットです。
都会から元気な家族がやってきた蔵のまち。地元住人が見過ごしていた魅力を発掘、発信する準備は、着々と進んでいます。

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