IYAGI
INTERVIEW
先輩移住者インタビュー
掲載日:2016年2月19日
更新日:2023年2月21日
石巻市
好きな土地で「半漁半カメラマン」の生活/鈴木省一さん
- 農林水産業
鈴木省一さん
田舎暮らしへの憧れ
「東京の生活にうんざりしていた。」鈴木さんはフリーのカメラマンとして東京で暮らしていたとき、そんな風に感じていたと言います。人がたくさんいて、隣に誰が住んでいるのかわからない生活ではなく、田舎暮らしをしたいという思いがありました。「仕事で何がしたい」というところではなく、「どこでどんな生活をしていたいか」が大事だと。
鈴木さんは、2011年にピースボートのボランティアとして石巻に来ました。ボランティアで初めて石巻を訪れた日に、震災によってぐちゃぐちゃになってしまった街をはじめて目の当たりにした。「自分に何ができるのだろうか?」と無力感を痛感に感じたといいます。しかしお金もなくなってきたので「そろそろ帰ります」と事務局に伝えると「仕事としてもう少し関わってほしい」と言われ、そのまま3年スタッフとして働きました。同時にこの街が少しでも良くなっていくところを見たい、そして出来る限り関わりたいという想いもあり、スタッフを辞めた後も、そのまま石巻に残ることにしました。
「僕の場合は帰らないという選択をしただけで移住を意識したことはありませんでした。はたからみればただの移住なんですが・・」そう鈴木さんは言います。住んでみて、石巻の好きなところは「人間関係が密なところ」。地元の人たちはその人間関係がときに煩わしいと言っていたりするそうですが、ずっと都会で暮らしてきた鈴木さんにとってはそれがとても居心地が良いようです。また、海によって大きな悲劇、被害をもたらされた石巻ですが、同時に海の恵みによって生かされている街でもある。「そんな大いなる海に抱かれて生きていけることは幸せなことだな」と感じていると言います。
家探しの難しさ
石巻に移住することを決めたものの、家探しはとても大変でした。仕事がないと貸してくれるところは少なく、また、今の石巻は仙台より倍率が高いといいます。特に牡鹿半島のような浜で働くとなると、浜で新しく家を建てられるのは元々の住民の方のみ、という制限があるため市内に家を借りることになります。市内から浜までの交通手段は車になるので車は必須とのことでした。
鈴木さんは知り合いの方に紹介してもらった物件に住むことが出来ました。このように知り合い伝手で家が決まるという話は多いそうです。最近、市の方で空き家の有効活用をしようとする動きが出てきているということで、今後住居に関しても進むのではないかというお話でした。「家探し」も「仕事探し」も現地の中に入り、人との繋がりの中でいい流れの波に乗れるのだという印象を受けました。
「自分の本業+地域の仕事」で生まれる可能性
スタッフをやめ、そのまま石巻でカメラマンの仕事を再開しました。同時に、知り合い伝手で忙しい時期の漁師さんのところにお手伝いとして入る生活を始めました。カメラマンの仕事が入ったときに、その日はお休みさせてもらえることを了解してもらえるところで働くといったスタイルです。お話を聞かせていただいたときは蠣の出荷のお仕事をされていました。こちらの漁師さんのところで1ケ月ほど働いています。「ありがたいことにこちらでこれからも居て良いよと言ってもらえています。お前、いらないから帰れ!って言われるまでですけど」
「言うわけないっちゃ」「いや~わかんないよ~?」漁師の奥さんとそんな冗談を言い合っている姿はとても楽しそうでした。
「カメラマンに限らず、地方で暮らすクリエーターは結構いるんです。東京にいなくても出来る仕事って多い。」鈴木さんのお知り合いで同じような働き方をされている人は他にもいるといいます。整体師やヨガの先生をやりながら、地域での仕事である1次産業もやっているそうです。鈴木さんは「自分の仕事+1次産業」というライフスタイルに可能性を感じています。「がむしゃらに毎日過ごしています。このような変化のある生活が続くことも性格的に楽しく感じる。今、自分がやりたいように生きています。40歳まではこういうライフスタイルでチャレンジしたい。鈴木さんのような「自分の仕事+地域の仕事」をやっていく人たちがもっと増えていったら面白い風が吹くのではないかと感じます。
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