IYAGI
INTERVIEW
先輩移住者インタビュー
掲載日:2015年10月16日
更新日:2023年2月21日
南三陸町
東京から笑顔を共有する町、南三陸町へ。 この町の「当たり前」に感謝/中島綾子さん
- 農林水産業
中島綾子さん
東京から移住、小野花匠園ファミリーになって
秋彼岸の繁忙期が過ぎて、ハウスの中のコンバインがほっとしているよう。次の収穫に向けて植えたばかりの苗が育っています。ここには何種類もの色とりどりのスプレー菊が花を咲かせます。
この「小野花匠園」に勤める、中島綾子さんは東京から移住してきました。毎日朝から日暮れまで現場に出て花の植え付けや収穫などをしています。仕事を始めてまだ8ヶ月。春彼岸、お盆、秋彼岸、これから年末にかけて、通年の繁忙期のサイクルを経験します。
「オリーブというグリーンの菊が好きです。菊はお供えのお花というイメージがありますが、そんなことないんですよ」最近はボックス入りが人気と、アレンジされた菊の写真をニコニコと見せてくれました。
中島さんはもともと東京でOLとして忙しい日々を送っていました。震災が起きた時、被災地支援をしに行きたいという思いに駆られ、じっくり考えた末、会社を退職しました。田舎での自給自足生活に憧れがあったので、もし空気が合えば移住してもいいという思いもありました。「何かしたいなんて…今思うとスゴく思い上がりでした。専門的な技術を持っている訳ではないので出来る事が限られていて…実際どうしたらよいか悩みました」
去年3月。南三陸町の社会貢献団体の復興応援バイトを見つけました。被災した企業で仕事をするものです。住まいも確保できるため、これなら自分にも出来る!と、南三陸町のホテルで仕事を始めました。ホテルで働いて1年が過ぎる頃、中島さんが農業に興味がある事を知る友人が、「南三陸町の農家さんで若くて頑張っている社長がいるから会ってみない?」と小野花匠園も主催企業の一つである芋煮会に誘ってくれました。芋煮を一緒に作るおばちゃんに「いつか農業がやってみたいんですよね」とぽろりと言うと、その人は「うちにきたらいいっちゃ~」と。実はその人は社長のお母さまで、社長に会う前に話がトントン拍子に進んだのです。
「小野花匠園」は南三陸町の三陸海岸線にせり出した緑濃い山並みの、風光明媚として知られる田束山(たつがねさん)の麓にあります。震災の時、海から1.5キロ内陸に入った畑にも津波は容赦なく打ち寄せました。しかしハウスは電源の喪失などの被害がありましたがギリギリ浸かる事なく、また会社兼社長の自宅の手前で波が止まり、幸いにして無事でした。社長である小野政道さんは東日本震災を越え、地域の経済やコミュニティの復興に取り組んでいます。それまでは家族だけ菊花とトマトの栽培を主とする専業農家でした。しかし震災後に株式会社 小野花匠園を立ち上げ、働き口を失った人の生活再建になるようにと雇用創出に積極的に取り組んでいます。
中島さんは社長の思いに共感し、ホテル勤めを辞めて、ここで働く事を決めました。「働く人は皆、小野花匠園ファミリーなんです。20代~70代のベテランのおばあちゃんまでいます。足の悪いおばあちゃんには座って作業してもらうとか皆さん適材適所で仕事をしてます」
南三陸町の人々の「当たり前」
「引っ越しのとき、私は捨ててもいい服を何着か持っていただけで、家具も何もなかったんです。そうしたら社長のお母さんがテーブルや棚をもってきてくれたり…誰もが自分がご飯食べるのと同じようにお隣の人にご飯を持っていってあげる。そういう感じなんですよね。隣の家の前に草が生えていたらついでに刈ってあげるとか…」助け合う事が日常的で当たり前。そういう意識すらないほど自然な行為。都会生活では、たくさんの人がいて何かと忙しく、周りに気を配る事は考えてする事ではないでしょうか?隣の人が何をしているのか知らない人も多いのではないでしょうか?この町の人たちは、隣にいる人を自分の事のように思うのがごく自然な事なのです。支え合う心がずっとずっと前からこの町の人には根付いている。中島さんはこの町の人の温かさと心の豊かさに心を打たれました。
自然、食べ物…移住の決めては人それぞれですがこの町に移住を決めた人の多くが人に魅了されたことがきっかけとなってるようです。「今までで今が一番楽しいです」と南三陸町の充実した生活を心から語ってくれます。そう思うようになるまでには少し時間が必要でした。移住へのチャレンジは不安になることもあります。たとえば住居の問題や仕事の問題。けれど、この町の様々な人に助けられながら進みました。その経験は中島さんの考え方を大きく変えました。大切なことであっても身近すぎて気づけない小さなことに気づかせてもらえたことで、何もかも楽しくて幸せになったと話す中島さん。この町の空気は中島さんを心地よく迎えてくれました。
「ささやかな毎日が未来をつくる」
「東京での仕事はおもしろく、やりがいもありました。あの時の経験があったから今の自分がいるんだなという感謝の思いがあります。でも都会暮らしが私には合わなかったんです。ずっと患っていた持病のような物がこっちきてなくなり、びっくりしました。田舎暮らしが合うんでしょうね。今が本当に幸せです」
今後は「小野花匠園」の仕事を続けながら「自分の畑を持って、なるべく自給自足の生活に近づきたい、自然農法にもチャレンジしてみたい」と話す中島さん。
「東京だと、どこから来たのかわからない野菜を食べていました。ここにいるとお隣さんの作ったキャベツ、お向かいさんの作ったきゅうり…と出所がわかるし、商売にしてないので見た目は悪くても農薬をつかっていないので安全です。自分で見て安全と分かる物が四季を通じて山の幸、海の幸の時節の物が食べられる。人間も自然の一部だから自然に即した食事は身体に間違いなくいいと思うのです。夢だった自然の一部として生きていくことがこの町で叶います」
震災を機に志を持った様々な人が全国からこの小さな町に集まって来ています。東北の地から人を笑顔にしたいという思いを持って。中島さんも町の力になりたい、この町がもっと明るくなり住んでいる人たちが楽しく過ごせるようになることを願っています。今は大それた事ではなく、小さな事から。仕事を通じて地域の人と交流をすることから貢献ができたらと思っています。中島さんが近所のおばあちゃんと「おちゃっこ」すれば笑顔が広がり、やがて大きな笑顔の花束となりそうです。中島さんの溢れる笑顔はまるで花が咲いているよう。この町には人口流出、進む過疎化の問題がありますが、中島さんの笑顔のエネルギーは人々を引き寄せるかもしれません。
「南三陸町の心から癒される大自然や穏やかで温かな人々との交流は、此処にしかない豊かな体験と気付きや学びがあり、そこから生まれる幸福感があります」と中島さんは教えてくれました。被災地だからといって肩肘張らず、気軽に移住を考えてみて欲しい。この町の魅力を満喫するために、自分の幸せの為に。
「このページを見て移住を考える方が1人でも増えてくれたら嬉しいです」
南三陸町の町に人に感謝をする、実感のこもった中島さんの心からの願いです。
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