MIYAGI

INTERVIEW

先輩移住者インタビュー

掲載日:2016年2月20日
更新日:2023年3月2日

角田市

東京からのUターンは故郷への想い/佐藤裕貴さん

  • UIJターン
  • 農林水産業

佐藤裕貴さん

東京からのUターンは故郷への想い

佐藤さんはゴールドラッシュ時代のオーバーオールにハット、革靴姿で登場しました。「農業をかっこよく」を信条に、大好きな古き良きものを身に着けて、いつもこの姿で農業をしています。この姿だとどこにいても目立ち、それでいて穏やかなオーラもあるので、まちの人からも気軽に声がかかる角田市のマスコット的な存在です。仕事は角田市の小田地区で農家の6代目として13種類のお米・4種類の麦・3種類の豆・トマト・ブロッコリーを作っています。

2010年にUターンをしてここ角田市に帰ってきました。帰ってくるきっかけは祖母の死。2009年年末に最愛の祖母が亡くなり、家に両親が2人だけになると思ったときに東京にいた佐藤さんはすんなりと「帰ろう」と思いました。それは両親など愛する人がたくさんいる故郷への想いがもちろんあってですが、東京の地での寂しさと東京でのやりきった感もありました。

ササニシキ

移住前の10年間、東京で学んだ大事なこと

角田市にUターン

東京に行ったのは短期大学・専門学校卒業後。学生時代に仙台のお店をみていると、東京にあるお店ばかりで、仙台発なんてお店は1つもありませんでした。「仙台から生み出しているものがない」と思い、ずっと想い憧れていた東京へ。昔から古いものや好きなものを集めたりするのが好きで、今でもコレクションの数は無限大です。東京では、大好きだったアンティーク商品などのセレクトショップで働いたり、海外に買い付けに行ったりと10年間過ごす中で、最終的には「東京の限界に気が付いた」といいます。情報の根源である東京にはムーブメントがあります。先の先の先まで読んで、そのムーブメントに対応します。努力を続け、その先の先の先まで、佐藤さんは読めるようになったといいます。そして、求められているものに追いついたときに「しっぽをつかんだ」という感覚があり、同時に限界を感じました。自分は1つのムーブメントにいるだけで、自分で何も生み出していない。そのときに何でも自分で1から発信しないといけない地方の方が最先端なのではないか?と感じたといいます。これはきっと佐藤さんが東京で努力し尽くしたことを意味しているのではないかと――そしてきっと場所にとらわれなくとも「自分が“やりきること”と“発信し続けること”で、おのずと結果はかえってくる」という感覚を努力により手にしたから思えることではないかと思いました。

他にも大事なことを10年間で学びました。それは「おもてなし」の大切さ。お客さまと真摯に接することで、ものを買いにくるのではなく、佐藤さんのところで買うという“もの”にプラスした価値をつけることの重要性を学びました。宮城に帰ってきても、お客さんがぷらっと遠くから来てくれたといい、それがすごく嬉しかったそうです。今も佐藤さんのお米を買いに、お家にわざわざ来てお話しして帰る方もおられ、消費者と販売者のつながり以上のつながりを築いています。

新しいムーブメントを発信していくことが故郷再生へ

故郷に帰ってきてからは、全国に馴染みのお客様もいたので、アンティーク商品の販売を中心に実家の農家を手伝っていました。しかし震災での食料不足を機に、大地から食べものを育てる行為こそ、故郷のくらしと大地を守っていけるのではと考えるようになりました。そして6代目農家として小田地区を守っていくという覚悟を持ち農家1本へ。その後は地域の方々から求められることに対して自分が頑張れば頑張るほど認められ、守らなければいけない田畑が増えていきました。

でも農家だけではなく、自分の今まで培ってきた経験を大事に、新しい動きもたくさんつくっています。まずは団体の設立。“衣・食・農のトータルコーディネートからかっこよくて魅力的な農業を提案する”をコンセプトに『一般社団法人OLD-DOWN OVERALLS』を設立し、代表兼お米クリエイターとして地元角田市を支える力を育てる活動をしています。この団体では、全国から若い人がたくさん来るおしゃれな農業体験を絡めたイベントを開催したり、アーティストや異ジャンルのクリエイターさんとのコラボなどをしています。結果、活動は増え、佐藤さんには毎日案件が山積みとなっています。農家をおしゃれで楽しく、そして自分が努力し盛り上がることで農業も角田市も元気になってくれればと強い想いで語られます。

東京へ行って帰ってきた10年の間に角田市の人口が3万7千人から3万1千人へ減少。母校も閉校。それでも「角田には可能性があり、人がいれば人の数分だけ可能性はあり、無限大」だと語られました。この場所では何をしたいなど、まるでまちをキャンパスにいろいろな夢を語られていた佐藤さん。就農して5年、130枚だった田畑は人とのつながりから350枚へ。でも田舎のおじいちゃん・おばあちゃんの温かさと、佐藤さんのような穏やかなそれでいて熱意のある人が集まるコミュニティとともに、大好きな人がたくさんいるこの地で佐藤さんは新しいムーブメントを自分から発信していくことでしょう。東京ではなく、角田がムーブメントの中心になる日も遠くないかもしれません。

そしてお米クリエイターは、名の通り、お米の新しい未来を創造していく仕事。佐藤さんはお米だけでなく、それに付随するくらしやまちをも創造していくことでしょう。
新しく何かをしはじめようと思ったら「人」に逢うこと。今日も佐藤さんはたくさんの人に逢いながら、“ムーブメント”への一歩を着実に築いています。こんな“わくわく”がたくさん起こりそうな角田市に皆さんもまずは訪ねてみてください。きっと人の魅力に、エネルギーにびっくりしますよ!

角田市移住者

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