IYAGI
INTERVIEW
先輩移住者インタビュー
掲載日:2016年4月30日
更新日:2023年3月13日
丸森町
水とみどりの輝くまち!宮城県丸森町で、移住者の交流座談会を開催!
- 地域づくり・交流
移住者交流座談会
移住者交流座談会in丸森町
みやぎ移住ガイドでは、これまで数多くの移住者インタビューを掲載してきましたが、今回は同じ市町村内で生活をする複数の移住者の方々にお集まりいただき、移住のきっかけや移住前の不安、移住後に感じた事やその後の状況など、本音でお話し頂く『移住者交流座談会』をみやぎ移住サポートセンターにて企画、丸森町にて実施致しました。参加者の方全員が開催日に初対面でしたが、年齢・仕事、移住やUターンのきっかけなど、バラエティに富んだ構成でした。会場は、町内筆甫(ひっぽ)地区にある旧筆甫中学校を活用した福祉・交流・宿泊施設の『そのつ森』で行われました。
※丸森町移住者交流座談会会場の『そのつ森』 http://sonotsumori.org/
移住定住(UIJターン)に力を入れる“まち”丸森町とは
丸森町は、宮城県南端に位置し、南西は福島県と隣接しています。また、町の北部を阿武隈川が貫流し、その流域と支流河川(内川・雉子尾川)の流域一帯が平坦地を形成しているものの、南東部は500m内外、北西部は300m前後の阿武隈山脈の支脈で囲まれた盆地状の町でもあります。2016年4月1日時点での人口は14,410人。町の総面積は273.30平方kmで仙南広域圏の約17.7%、宮城県の約3.8%を占めます。
上記のような自然に恵まれながら、それでいて仙台市まで電車・車で1時間。また、お隣の福島県の県庁所在地の福島市へも同様に1時間弱と、大きな市へもすぐ到着できる距離に位置しています。自然を充分に満喫しながら大都市へも気軽に行ける、そんな贅沢な便利さも味わう事ができます。その上で、いま以上に町を活性化、盛り上げるための施策の一つとして、町を挙げて移住定住(UIJターン)に取り組んでいます。これから紹介する移住者交流座談会にも、土曜開催でありながら丸森町役場の担当部門の職員の方々が会場の手配や当日のアテンドを行なうなど、移住定住者受け入れへの町の熱意が伝わる町でもあります。
また、今年4月には『まるもり移住・定住サポートセンター』を開設。専任職員を配置し、町への移住を検討・希望される方の相談窓口、移住体験ツアーや定住いただける方の住まいや暮らしを応援する「しあわせ丸森暮らし応援事業」等、移住・定住者目線で受け入れを常に考える施策を次々と実現させているところにも、「安心して移住ができる」「移住してからの生活を日々楽しく充実して過ごせるようにする」という強い思いが感じられる。そんなまちが『丸森町』です。
※丸森町HP http://www.town.marumori.miyagi.jp/
まるもり移住・定住サポートセンター
『じゅーぴたっ』HP https://ju-pita.com
ご参加頂いた移住者の方々のお話し
今回の移住者交流座談会にご参加頂いた方は3組4名。太田さん、永田さんご夫婦、目黒さんです。交流座談会でお聞きした、皆さんの移住のきっかけや移住後に感じた事、現在の状況や移住にあたってのアドバイスなどをそれぞれ詳しく紹介します。また、移住者の方々のお話しの内容から、丸森という町についてのイメージもより一層湧き、移住検討・希望者にとって大変参考となる貴重なお話を、おうかがいすることができました。
●太田茂樹さん
東京都のご出身。丸森町に移住して20年。学生時代から自然や環境問題に興味があり、大学院では環境社会学を専攻。卒業後もこのまま学究を続けるか、自然の中で自然と共生できる仕事を自身で直接行なうかを考え抜いた末、「自分は直接やったほうがいいのでは」という結論に至り、勤めではなく自然を相手にした仕事で、無農薬で色々な作物をつくりつつ、その上で発信できるものは自ら発信していこうと思い、自身で行なうことを決意されたそうです。
当初は、千葉や伊豆などの身近な場所である関東周辺エリアで考えていたものの、東京に近いためゴルフ場をはじめとするリゾート開発も当時は盛んであったことから、商売をやるにはいいが、移住後に近隣の環境が大幅に変わる可能性を常に考えなければならず、それならば関東エリア以外にも候補地を広げようと思われたそうです。
候補先を探す中で、西は行く途中に名古屋や大阪といった大都市があるため、むしろ北に行けば大都市も仙台や札幌のみで、当時親が住んでいた東京へも近いことから、宮城県か福島県を候補地とし更に調べられたそうです。結果的に移住地が丸森町となった決め手は、『適度な田舎』であるという事だそうです。『適度な田舎』については、後ほど詳細記述がありますので、そちらでもご確認ください。
まず、無農薬で大豆と米を作るのに適した土地と産地としてのイメージ、同時にある程度の消費地も必要。その点では、大規模消費地である仙台市周辺エリアと福島市周辺エリアがともに近く、環境面においても自然豊かで集落のまとまりがある点や気候など、重視していたポイントの殆どを満たしていたのだそうです。丸森町にとってIターンの先駆者的存在の方ですが、1990年代半ば当時はIターンという言葉もなく、移住するだけでニュースになるような時代だったそうです。
丸森町の筆甫地区に移住し就農。現在と違い当時は、いきなり空き家を借りられるような時代ではなかったため、地域で有機農業を行なっていた先輩の自宅に泊めて頂き、先輩の田畑に通いながら農業を教わり、その間に地元での様々なツテもできて、その後に独立、就農されました。
そして現在に至るまで、自身で立ち上げた『山の農場&みそ工房SOYA』の代表として、味噌の原料となる米と大豆を有機肥料と無農薬で栽培し、麹づくりも自ら行なうなど一貫手づくりの『山里ひっぽの元気な味噌』を製造するとともに、地域の高齢者が安心して老後を過ごすことができる福祉施設をつくるための特定非営利法人『そのつ森』を、丸森移住後にご結婚された奥様や仲間達と立上げ、太田さんは代表理事として活躍されています。地域での太田さんの20年の歩みの素晴らしさを強く感じました。
現在2男2女の父親でもあり、丸森町Iターンの先駆者的存在でもあります。地方での就農をはじめとする一次産業や六次化、介護・福祉などの仕事や団体・企業を立ち上げたいといった方には、まさに目指すべきモデルとなる方であると実感しました。また、移住後から現在まで、移住希望者や地方での就農希望者などで、「お話しを聞きたい」という要望があれば、できる限りの対応をされており、丸森町・筆甫地区や移住希望者の将来について、大変強い思いを持たれている方でもあります。
※米・大豆づくりから、こだわりの味噌がつくられるまでの過程や、農場・味噌工房の四季の風景を知る事ができます。下記もご覧下さい。
http://soya-miso.com/
●永田英雄さん・多香子さんご夫婦
英雄さんは群馬県生まれの東京育ち、奥様の多香子さんは北海道十勝生まれの札幌育ち。ご結婚時から8年前に丸森町へ移住されるまでは東京在住・在勤で、宮城県との縁やゆかりは全く無かったそうです。
移住を考えたきっかけは、ご主人の英雄さんが前々から定年後の地方移住を考えられていて、定年を迎える3年前頃からインターネットで地方の物件情報を収集していたそうです。そんなご主人のお考えを奥様の多香子さんはいつお知りになったかとうかがうと、ネット検索は勿論のこと田舎暮らしに関する本も見かけていたため、英雄さんの移住志向には早くから気付かれていたとのお話しでした。
地方移住による田舎暮らしについて、奥様は特に反対はされなかったそうです。ご自身も北海道で育ったため、自然の豊かさを享受できる環境にも魅力を感じ、また愛犬も飼っていたので地方の田舎暮らしもいいかなと思われ、夫婦での移住について最終的に賛成をされました。
英雄さんは、会社から再雇用の打診も頂いていたそうですが、当初からの夢であった地方での田舎暮らしを実現させたく定年で退職をされました。また、既に鬼首(おにこうべ/宮城県大崎市鳴子温泉)に中古住宅を購入して移住をされていた知人の方から、退職祝いを兼ねて自宅へ招いていただいたところ、知人の日々の暮らしのお話しの内容も含め、改めて田舎への移住のよさを実感し、移住候補地や物件の選定を更に注力されたそうです。
その中で、宮城県と山形県に候補地を絞り、色々と情報を収集した上で熟考したところ、候補地の一つは積雪量が多く、3軒以上集まらないと除雪をしてもらえないため、歳をとってからのことも考えると体力的な面でも不安なことから、積雪量の多くない地域で候補地の選定を再度行いました。
また、東京の自宅には息子さんが住まわれていて、奥様の実家も札幌のため、東京と札幌の両方へ行きやすい場所という観点も視野に入れて更に調べたところ、丸森町が有力な候補地となったそうです。丸森町からは常磐自動車道のICも近く、更に東北自動車道のICも利用ができるため、車での移動が大変容易で、東京と札幌の双方へ早く行くにも便利な場所に位置するため、いまでは行き帰りのルートを変えて様々な場所へ行く楽しみも増えたそうです。また仙台空港へも近いため、国内の遠隔地への移動もスムーズであるということも分かり、交通の便のよさという点においても丸森は非常に魅力を感じたそうです。
同時に、仙台市内中心部へも1時間程度の距離のため、大都市ではないと得られないものも、思い立てばすぐに得ることができ、日々過ごす自宅は自然にも恵まれていて四季もはっきりと感じられつつ、積雪量はさほど多くないため、除雪や雪下ろしを心配することなく生活ができるという点も大きなメリットでした。
このような経緯もあり、新たな移住地は丸森町と決め、物件探し等の移住への具体的な準備を進めていく中で、不安に感じたことは、地域に溶け込めるか、仮に溶け込もうという努力をしても閉鎖的なのでは、という地方のイメージ。そのイメージがいい意味で裏切られた、不安が解消されたのは、丸森町への移住決定前に、丸森町の『いきいき交流センター』へ行った時のある出来事。その出来事をお聞きした時に、丸森町へ移住を決意された要因ではないかと強く感じました。
交流センターへ行ったところ、地元の方から「今度こっちに来られる方でしょ」と声をかけられ、「家は別荘として使うのかい?それとも住民票移して来るのかい?」と続けて質問をされたそうです。住民票を移して丸森町へ住む旨をお伝えしたところ、「だったら軒数分のタオルを用意したら、自分が一緒に挨拶回りするから!」と仰って頂いたそうです。その方のお陰で、地域の方々全てとその日のうちに知り合うことができたそうです。また、移住してすぐ、たまたますれ違った方から「今度来た方でしょ。何か困ったことはない?困ったことがあったらいつでも言って!」と言われるなど、そういう気遣いのできる方が多いまちだと、今も実感されているという言葉がとても印象的でした。
移住後は、住まいとなる家や倉庫、庭などの手入れや改修・改装などを日々行いながら、裏庭に生えている竹を活用して庭の手すりを作ったり、趣味の木工作業を快適に行なえるよう倉庫に手を入れるなど、今日に至るまでご夫婦ともに日々充実した生活を過ごしているそうです。また、活き活きと日々生活する移住者を毎回取り上げて紹介する全国ネットの人気テレビ番組から、そのような移住者の紹介の依頼が丸森町役場へあり、町役場の担当者が永田さんご夫婦へ番組の出演の打診をされたそうです。
永田さんご夫婦は、番組への出演を当初は固辞されましたが、丸森町を少しでも多くの方に知ってもらえる絶好のチャンスということから、町としても熱意をもって永田さんご夫婦へ依頼をし、永田さんも町役場の方々の町にかける情熱を強く感じるとともに、移住時からお世話になった町の方々のお役に少しでも立てるのであればと考え、最終的には出演を快諾されたそうです。このようなお話しの内容から、永田さんご夫婦の丸森町への愛着をより深く感じました。
なお、座談会終了後には、お住まいへも訪問させて頂きました。趣味の木工作業を心行くまで満喫できるようにご自身で手を入れられた倉庫や、ビニールハウスや植木、石の配置などイチから手を入れたお庭にも驚かされました。画面下のご夫婦の写真の背景にある景色を見て、住まいは“ここ”に決められたそうです。日々の生活の充実振りを大変強く感じた座談会でのお話しの内容でした。
●目黒広記さん
今回ご参加頂いた4名の方の中で、ただ一人の宮城県Uターン者。宮城県というだけではなく丸森生まれ丸森育ち!の方です。高等専門学校卒業後は神奈川県の会社に就職したため、丸森町へ戻るまでの7年間は神奈川県に住んでおられました。
就職後から暫くは、宮城や丸森へ戻ることは全く考えていなかったそうです。Uターンを考えるきっかけとなったのは、2011年3月の東日本大震災。目黒さんのお話しでは、震災の影響もあったのか祖母が体調を崩し、目黒さんへ丸森に戻ってきて欲しいというお話しもあったそうです。
また、当時勤務をしていた会社が、関西に移転することになっていたそうです。その当時、結婚が決まっていた彼女も丸森町のご出身であったため、丸森町へも定期的に戻られていたそうで、地元へ戻る方向に気持ちが傾いていったそうです。同時に、関西に転勤した場合、見ず知らずの人しかいない土地で、彼女と生活しなければならないと思い、そうであれば二人が生まれ育った丸森へ戻ろうという決意をされました。
祖母や彼女に関するお話しから、目黒さんの人に対する優しい心とお人柄を大変強く感じました。また、子供の成長を育むのは親や学校はもちろんですが、土地(地域)が育むという点もあり、その点では丸森という土地が、目黒さんの優しいお人柄がつくられた要因の一つとも感じました。太田さんや永田さんご夫婦のお話しからも、気遣いができる親切な方々が多い土地柄で育ち、過ごすということは、子育てという面においても重要であると改めて認識しました。
丸森へUターン後は、目黒さんご自身が培った業務経験やスキルを活かそうと、町役場に就職されました。座談会を行なった3月の時点では、建設課の建築住宅班に所属。町営住宅の管理や町の工事の発注を担当するなど、町民の方々のため、そして町のために日々の業務に全力で取り組まれています。
また、丸森町と首都圏の違いについてもおうかがいしたところ、特に車の渋滞には驚くとともにストレスを感じられていたそうです。丸森町周辺では渋滞がないのが当たり前。ところが神奈川では、5キロ10キロ進むだけでも1時間かかることも珍しくなかったそうです。住まいの面でも、丸森に住んでいた頃と比べると、物音もあまりたてないように気をつかうなど、日々の生活で窮屈さを感じることもしばしばあったそうです。
最後に、目黒さんのような丸森と丸森以外の土地、それも首都圏という両方を経験されていて、なおかつ民間での勤務経験もある方が、町役場でお仕事をされるということは、違った視点からの発想や新たなアイデア、それを活かした業務を行うこともでき、町にとって大変貴重な人材であると感じました。若いUターン人材の地域への波及効果の大きさという点においても、移住促進とともにUターンの促進も非常に重要であると、目黒さんのお話しをうかがいながら強く感じました。
最後に、丸森町への移住を検討・希望される方へのメッセージ
●『適度な田舎』とは
移住者交流座談会にご参加いただいた皆さんから出た言葉の中で、『適度な田舎』という言葉がキーワードであると思いました。日々の生活は自然豊かな土地で過ごしながら、仙台という大都市にも1時間で行ける距離感。四季がはっきりしているため、季節感を十二分に味わうことができ、雪も降るが降雪量は多くないため、雪も楽しむことができる。山はあっても険しい山ではなく里山。気軽に山歩きができたり、その里山の間を川が流れているため川遊びもできる。そして田園風景も広がる。参加者の太田さんは、「日本昔ばなしに出てくるような、日本の原風景に近い」と表現されていましたが、思わず相槌を打ってしまうような絶妙な表現だと思いました。
●山のイメージだが、実は“海”も近い!
丸森町の隣町である山元町は海に面しています。ホッキ貝がふんだんに使われた『ホッキ飯』は、宮城県内では知名度の高い名物グルメです。また、鮭とイクラを使った『はらこ飯』は全国の駅弁でも人気であり、またイチゴ栽培も盛んなため『イチゴ狩り』も楽しめます。その山元町へは、丸森町から車で30分も走れば到着します。実は海も近い!ということも座談会では共通の話題となりました。丸森の米や野菜、山の幸はもちろんのこと、海の幸も気軽に楽しむことができる。ここでも、周辺エリアでの丸森が位置する場所のバランスの良さを実感しました。
●土地もある。家もある。そして、歓迎する町の人たちがいる。
20年前の移住時には、丸森に限らず地方では、縁もゆかりもない人にとって、空き家をはじめ家を借りるのも一苦労だったという、太田さんのお話しがありましたが、その後の移住者の方々の町への溶け込みや貢献もあったことと、日本の地方全体の課題となっている高齢化・少子化による人口の減少もあり、その解決策の一つとして丸森は町を挙げて、移住やUターンに力を入れて取り組んできました。その影響もあり、購入または借りられる土地や空家も、持ち主の方の移住者受け入れへの理解や協力意識が大きく高まり、現在では物件の数も増えるとともに、購入・借りやすい状況となっています。また、丸森町(行政側)も様々な支援制度を確立。そこに胡坐をかくことなく、移住やUターンをされる方の不安が解消されるような、より効果的な施策を常に考えています。まさに、行政と丸森町民が一体となって、移住者やUターン者の受け入れに取り組んでいることを強く感じました。
●子育ての環境
太田さんは、丸森町へ移住後に結婚。現在では4人のお子さんを育てられていますが、特に農家ということもあり、親の仕事姿を子供に見せられるとともに、仕事を子供と一緒に行うこともできる。農業であれば、作る大変さや収穫の喜びを共有できるため、食べ物のありがたさや感謝の気持ちを育むことができるというお話しは、大変印象に残りました。また、通学路の途中で会う方は顔見知りの方ばかり。その方々は役場や会社に勤めている方もいれば、商売をされている方、農業に携わられている方、学校の先生や看護師、介護福祉士などの医療関係者といった、職業や年齢もバラエティに富んでいるため、様々なタイプの大人との挨拶や会話も日常生活の一部。都心の子供の多くは、家族や学校・塾の先生といった特定の大人との会話のみのケースが多いことから、コミュニケーション能力の成長については、地方や田舎の子供達の方が、環境として恵まれているのではないかという参加者皆さんのお話にも感銘を受けました。また、丸森町では子育てに関する支援策にも力を入れているという点も特色の一つです。
●生活費について
首都圏をはじめとする都市圏と比較すると、収入については下がる可能性があります。但し、家の購入費や賃貸の場合であれば家賃、そして食費も都市圏と比べるととても安いです。米や野菜などは、本業ではなくても多くの方が家庭菜園(といっても都心よりはかなり広い)などを持っているため、『戴いたりあげたり』といったことも日常のシーンの一つです。家や庭は広く、マイカーがあり、食材も豊富で新鮮、それでいて食・住のコストが非常に安い。可処分所得で考えれば、都市圏よりも実質はむしろ多いかもしれません。太田さんが4人のお子さんを育てられている事実が、何よりの証だと感じました。
●生活上の注意点
鉄道(阿武隈急行)駅はありますが、生活をする上で車は必要と思われます。また、ご夫婦での移住であれば、2人ともに運転できるほうが、怪我や病気での通院の折には不安も少なくなります。公共交通機関としてはバスもありますが、本数や乗り継ぎ時間によっては、通常以上に時間がかかってしまうケースもあります。これは、丸森に限らず日本の地方全体で言えることですが、参加者の方からも地方の田舎暮らしの大きな課題として、車の無い方でもある程度将来を心配しなくてもいい、何らかの移動手段・体制づくりを行政側にもお願いをしたいとのお話しがありました。
今回の移住者交流座談会を終えて
今回の移住者交流座談会では、移住前・後・現在について、詳しいお話しや忌憚のないご意見を頂いた4名の参加者の方に、心より感謝致します。また、丸森町役場の安島さん、伊藤さん、まるもり移住・定住サポートセンターの針ヶ谷さんには、この座談会の会場手配から参加者の方々のスケジュール調整まで行なっていただき、土曜日の開催にも関らず座談会にもオブザーバーとして参加いただいたこと、この場を借りてお礼申しあげます。
町民と行政が、本当に一体となって移住定住に取り組まれていることには、大変感銘を受けました。また、参加された移住者の方々が、自分達に続く移住者が溶け込みやすいようなコミュニティづくりを実践されていることや、生活上の注意点でも表記しましたが、移住者の皆さんからの行政側への要望について、行政側が移住者の方々のお話しを真摯に受け止められている姿を見て、このまちであれば、安心して住むことができるまちであると思いました。ヒト・モノ・カネが生活する上でも必要ですが、その中でも一番重要な『ヒトに恵まれているまち』、それが丸森町である。そのことが強く実感できた移住者交流座談会でした。
※<町の移住担当者に聞く 住民の幸せのために、本気で取り組む職員がいる町/丸森町
安島和仁さん・伊藤淳さん https://miyagi-ijuguide.pref.miyagi.jp/miyagi-admin/iju/1938
前列左から、太田あま音ちゃん、玄周君、蕗ちゃん、和馬君、安島さん(丸森町役場)
後列左から、針ヶ谷さん(まるもり移住・定住サポートセンター)、目黒さん、永田さんご夫婦、
太田さん、伊藤さん(丸森町役場)
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