MIYAGI

INTERVIEW

先輩移住者インタビュー

掲載日:2024年6月26日
更新日:2024年6月26日

女川町

友達と観た星空がとても綺麗で/合田七海さん

  • 地域づくり・交流
  • 就業

合田七海さん

女川町の新しいシンボルである『シーパルピア女川』内の飲食店に勤務されている合田七海(ごうだなつみ)さんは、培ってきた防災の知識と持ち前の行動力を活かし女川の町に新たな活気の風を巻き起こしています。お仕事をしながら地域に寄り添った活動に励む合田さんにお話を伺いました。


この日は『女川町まちなか交流館』でお話を伺いました

移住のきっかけは、石巻市でのボランティアに参加したこと

大阪府堺市出身の合田さんは女川町に移住して今年で5年目を迎えます。
女川への移住のきっかけは、2014年に石巻市へボランティアで訪れた事だといいます。
合田さんは「大学受験の時期に起きた東日本大震災を見て、直接的に人を支える様なお仕事がしたいなと思うようになり、その頃は自衛隊員になりたいと思っていました」と自衛隊入りを目指していた過去を打ち明けてくれました。
「神戸に“社会防災学科”という防災に特化した学科を持つ大学があることを知り、自衛隊に入るのであれば、その大学で学びたいと思い進学しました」と合田さん。
その後は希望どおり“神戸学院大学社会防災学科”へと進学します。



進学が決まった合田さんの眼にとまったのは、この大学の一貫した被災地支援方針と“災害支援ボランティアバス”でした。
「まずは自分の眼で被災地の現状を確かめておきたくて、石巻市へのボランティアに参加してみました」と初めて参加したボランティア活動を振り返ります。
また「震災からすでに3年が経っていたのですが、日和山から見た石巻の町はまだ何も無くなってしまった状態のままで、自分が住んでいた大阪とは全く違い過ぎていて…、『ここで震災があったんだ』と改めて実感させられました」と、その時見た石巻市の印象を感慨深げに話してくれました。合田さんはそれを機に名取市の仮設住宅に赴くなど、継続的にボランティア活動に参加するようになったそうです。
そんな中、ボランティアバスでの視察で初めて女川町を訪れる機会があった合田さんは「当時の女川は、今では想像できないほど真っ新な状態でした。まだ駅も商店街もなかった時だったと思います」と、初訪問を振り返ります。
それからは石巻市でのボランティア活動と併せて、女川町にも毎年訪れていたそうで、
「毎年訪れるたびに駅や商店街ができていて、町の人たちの復興に前向きな姿勢に刺激を受けました。その前向きさと、どんどん綺麗になっていく町の雰囲気に惹かれ、次第にこの町の復興やまちづくりに関わりたいと思うようになりました」と、その頃にはすでに女川町への想いが芽生えていたようです。
「あの時は大学1年生だったので18歳でしたかね」という合田さんは現在28歳、10年前の決意は今も揺るぐことはありません。



卒業後は就職し上京、それでも募る女川への想い

大学を卒業した合田さんが選んだ進路は防災関連企業への就職。
非常食製造会社の東京支店に勤務することになります。
大学で防災を学びボランティア活動を重ねてきた合田さんは、仕事に従事するにつれ、災害への備えや、被災地の復興を考える機会が多くなり、在学中に訪れた女川町への募る想いが徐々に強くなっていったといいます。そんな折、女川町の『お試し移住プログラム』の存在を知ると、一念発起して応募。2019年の3月に会社を退職し、その3月から女川町に移住し新生活をスタートさせます。
合田さんは「大学生の時に訪れた、女川町の復興やまちづくりに住民として参加したいと思う様になったんです」と女川町への移住を決意した理由を教えてくれました。


この町の復興やまちづくりに“住民として”参加したいという合田さん

揺るぎない決意、女川町に移住するや消防団へ

合田さんは女川町に移住してほどなく、町の消防団に入団します。
「合田さんの誰にでも好かれる人柄もありますが、移住されてきた時点で防災に関する高い知識を持ち合わせていたこともあり、消防団に入団後はものすごい速さで住民の輪に溶け込んでいきました」と語るのは、消防団入団当初から合田さんを知る女川町企画課の小山主幹。
「地域の安全を守る消防団員として、日ごろの訓練や広報活動などに積極的に参加されています。移住して半年が過ぎたころには、女川消防署から一日限定『予防PRサポーター』に任命されたこともあるんですよ」と、小山主幹は町に溶け込む速さに驚きつつ、合田さんの防災意識の高さと行動力に一目置いている様子でした。


女川消防署の一日限定『予防PRサポーター』として女川町長を表敬訪問した合田さん

また合田さんは、宮城県立支援学校女川高等学園の防災委員会にも参加しており、学校の防災学習を見学したり、そのお手伝いをするなど、学校に寄り添った活動もされているそうです。
女川高等学園は兵庫県などが主催する『1.17防災未来賞「ぼうさい甲子園」』で、令和5年度に優秀賞、令和2年度には最高位のグランプリに輝くなど、防災意識が高い学校として全国的に知られています。
「日本防災士機構」が認定する『防災士』という資格を持っていたのも大きかった」と合田さん。
ご自身の経歴や、学生時代から培ってきた防災知識の高さがあったからこそ結ばれた関係なのでしょう。


理解出来なかった宮城県の『方言』、今では自然にでてしまう

『シーパルピア女川』の中にある飲食店“まぐろ屋明神丸”に勤務している合田さん。
おすすめのメニューを伺うと、すかさず『まぐろ三色丼の上』と小気味よい返答が。
「めっちゃ美味しいですよ、うちのお店の一番人気です」とインタビューが進むにつれ緊張が解れてきたのか、地元(大阪)の言葉が顔をのぞかせ始めます。



移住したての頃は解らなかった宮城県の方言がいくつかあったそうで、
「こちらでは『捨てる』ことを『なげる』って言うじゃないですか。あと相手に共感するときの『だよね』の意味合いの『だから』とか。『だから』のあとに続きがあると思うじゃないですか、普通は(笑) 。つい「だから・・何?」って訊き返しそうになっていました(笑)」とエピソードも交えて楽しそうに話してくれた合田さん、今ではその解らなかった単語も会話の中で普通に出てしまうそうです。
「先日も、お店に地元のご年配の方が3人で来られたんですけど、会話をなんとか聞き取れましたよ!」とご年配者の“ネイティブな方言”を理解できたことに嬉しさを隠せない様子でした。



専用の『アイドルコール』も

合田さんはバンド活動もされているそうです。
詳しく伺うと「女川町長が率いるバンドで、ヴォーカルを担当させていただいています(笑)」と合田さん。
2012年から女川町と交流を深めている音楽事務所”WACK”(アイドルグループのExWHYZやBiSなどが所属)の主催で、2020年2月に女川町内で2日間にわたり開催された『ONAGAWACK FUCKiN PARTY 2020』というアイドルフェスがあり、それを盛り上げようと女川町長が中心となりWACK所属アーティストのカヴァーバンドを結成したことがきっかけだそうで、町長ご自身もギターを担当されているとのこと。


その後も、町内で開催されるイベントへの出演や、自主企画ライブイベントの開催などを重ね、
2024年3月に女川町で開催された『おながわ春のまつり2024』では、カヴァーバンドでもあるにもかかわらず本家BiSとの共演も果たしたそうです。


“NEMPiER”(ネンパイア)でヴォーカルを担当する合田さん(右)

合田さんによれば、バンドグループ名は“NEMPiRE”(ネンパイア)といい、かつてWACKに所属していたアイドルグループの“EMPiRE”(エンパイア)の名前を模しているそうで、所属しているメンバーが年配者が多い事から頭にNを付けてNEMPiREと名付けたのだとか。
「もはや女川町のアイドルのような存在ですね。NEMPiREはカヴァーバンドですが、ライブには本家のWACK所属アイドルのファンの皆さんもたくさんいらっしゃって盛り上げてくださいます。合田さん用のアイドルコールなどもしてくださるんですよ」と、説明する小山主幹の横で照れくさそうに相槌を打つ合田さんがとても微笑ましかったです。


町の人たちに「甘やかされてるな」と思う毎日

インタビューの後に写真撮影のため、商店街(シーパルピア女川)に出ると、
行く先々で町の人たちに声を掛けられ、その様子からもコミュニティへの溶け込み具合がうかがい知れます。そんな合田さんに、女川の町で生活してみての率直な感想を聞いてみました。



「町の復興公営住宅に住んでいるのですが、そこでは近所のおばちゃんたちが『おかえりー』って言ってくれるんです。そういうのがめっちゃいいなと感じます」とマンション住まいだった大阪府では感じたことのなかった、住民どうしの距離の近さを強調。
また「今朝も海藻をいただきましたが、漁師さんが魚を持ってきてくれたり、お裾分け文化がすごいなと思います」という合田さんは、町の人たちの真心に“見返りを求めない親切”を強く感じるのだといいます。
「そんなとき『おおきに!』とか言ってみたりするんですよ。そうすると相手のかたが『わっ?』っとびっくりするときがあります(笑)」と、その笑顔からはここでの生活の充実感が伝わってきました。



「移住者の私がこんなに馴染むくらいに、本当に皆さんが気遣って声をかけてくださって、毎日甘やかされてるなって思います」としみじみ。
「果物屋さん(相喜フルーツさん)の店主さんは私の『ファン1号だよ!』って言ってくれるんです。スマホの写真フォルダを開くと、必ず私の写真が一番上になってて(笑)、めっちゃ嬉しいですよ!」と本当に嬉しそうで、その様子からは移住して以来温かく見守ってくれてきた人たちへの“深い感謝の気持ち”が現れていました。
そういう女川の町の人たちも、帰省で大阪府に帰った合田さんが町に戻ってくると、安堵したようにとても喜んでくれるのだそうです。


移住友達と星空を観に展望台へ

お休みの日は主に移住友達と過ごしているという合田さん。友達と一緒に仙台市まで足をのばし映画鑑賞をしたり、地元女川町のサッカークラブ“コバルトーレ女川”の応援に夢中になっているそうです。
合田さんはそのほかにも、女川ならではの楽しみがあると教えてくれました。
「女川は『星空』が綺麗なんです。満月の夜なんかは信じられないほど明るく感じて、大阪では観られない星空なんですよ」と女川町域周辺で見ることが出来る星空の美しさをアピール。「以前に友達と4人で展望台(牡鹿半島コバルトライン)に行って“流星群”を観たのですが、それがめっちゃ綺麗だったんです」と移住したばかりの頃に観に行った星空の美しさが思い出深いようです。
合田さんはそれ以来、仲良しの友達と、星空を観るためだけに展望台まで車を走らせているそうです。



女川町のおもしろさを多くの人たちに知ってほしい

これからの展望を伺うと、
「今、のんびりと楽しく暮らせている状態が私にとって理想なんです」と迷いのない言葉を返してくれた合田さん。
一方で「私と同世代の人たちでも、女川の町を盛り上げていける様になってきていると思う」と、短いながらも的確な一言も。それは自らの活動で培った知見があるからこその自信に満ちたものに聞こえました。



さらに「これからは、今まで以上にバンドなどの活動で盛り上げて行きたいと思います。そのために新しい事にもみんなでチャレンジしていきたいです。女川っておもしろい町なんだよって、沢山の人たちに知ってほしいです」と力強くこたえてくれた合田さんでした。



「私は海が好きなんです。名前も“七海”ですから。女川は海が近いので、私の家からも海が観えるんです。日々海の匂いを感じながら暮らせていて、とてもいいなって思っています」そうインタビューの最後に語ってくれた合田さん。その一言がどこか詩的な話し方で胸に迫るものがありました。
今回のインタビューで私たちに一番伝えたかったのは、この一言だったのかもしれません。



終始、素敵な笑顔でインタビューに応えてくれた合田さん。
これからも、地域に寄り添った活動で女川町に活気の風を吹き込んでくれる事でしょう。




合田七海さんの活動拠点についてはこちらのサイトをご覧ください。

・まぐろ屋明神丸(オフィシャルサイト)
https://maguro.top/

・シーパルピア女川(オフィシャルサイト)
http://onagawa-mirai.jp/

PAGE TOP

MIYAGI

SUPPORT

相談はこちら

移住・就職の相談をする

(一般の方向け)

宮城県への移住やお仕事に関するご相談は、
お気軽にみやぎ移住サポートセンターに
ご相談ください。

みやぎ移住サポートセンター

TEL090-1559-4714

10時-18時/火曜-日曜(月曜・祝日:休館日)