MIYAGI

INTERVIEW

先輩移住者インタビュー

掲載日:2024年8月5日
更新日:2024年8月9日

涌谷町

「一人より二人だよね」繋がりの相乗効果でプラス要素ばかりに/丹治奈緒子さん、佐々木春香さん

  • 古民家・空き家
  • 地域おこし協力隊
  • 起業・開業

丹治奈緒子さん、佐々木春香さん

一般社団法人AuBless(アウブレス)代表の丹治奈緒子さんは東京都のご出身、地域おこし協力隊の隊員として涌谷町へ移住し、活躍を経て定住されました。
丹治さんと同じ古民家内でフラワーショップ「花叢(はなむら)」を営むのは東京都からUターンされた佐々木春香さん、地元涌谷町のご出身です。
経歴もお仕事も違うお二人が繋がりの相乗効果を生み出し涌谷の町に新たな活気の場を提供しています。


この日はAuBlessの拠点でもある丹治さんのご自宅に
お邪魔してお二人にお話を伺ってきました。

涌谷町新中島乙(しんなかじまおつ)地区は江合川沿いの閑静な住宅地。その一画にある門戸から長い通路がのびる古民家がこの日の訪問先。軒先に輝くAuBlessの赤いタペストリーにナビゲートされるように通路に入っていくと、丹治さんと佐々木さんが出迎えてくれて、さっそく敷地内を案内してくれました。



そこは母屋を中心に離れの建物、蔵、納屋、野外スペースで構成された広々とした敷地。
お二人はその敷地をフル活用し、様々な分野のプレーヤーを招き多種多様なイベントを開催しているそうです。


町内外から出店者やアーティストを招いて
イベントを開催しているそうです(2024年5月の様子)

お二人に涌谷町への移住のきっかけをお聞きしました

丹治さんは涌谷町地域おこし協力隊での3年の任期の後にそのまま定住、すぐに一般社団法人AuBlessを起業されました。協力隊で実践してきた「活動」を「事業」に変えたという丹治さんは、移住して今年で8年目を迎えます。
「町の皆さんにはずっとここに住んでいるように思われていて、昔の事も知っている前提で話をされる時があるんですよ、私そんなに昔から居ませんから(笑)」と、陽気に話し始めた丹治さん。インタビューの場が一気に和みます。
「東日本大震災後の石巻で食を提供するボランティアをしていまして、そこで支援イベントに関わっていた米農家さんと知り合ったのですが、その方が涌谷町の人だったので田植えや稲刈りの手伝いに来たのが涌谷との縁の始まりですかね」と思い起こす丹治さんですが、その時はまだ涌谷町というよりも「宮城県」に来ているという感覚のほうが強かったそうです。
そのような交流が頻繁になってきたころに地域おこし協力隊という制度があることを知ったという丹治さんは「涌谷町の地方創生の事業に関わった事でいろいろな人たちと出会えました。その時に涌谷町役場の方やまちづくり活動のオーガナイザー(活動の主催者)の方とも知り合えたのが大きかったですね」と、その人たちからまちづくりのプレーヤーになるべく背中を押してもらえたのがきっかけだったと感謝の気持ちをにじませます。
その後は協力隊入りを即決、涌谷町第一号の地域おこし協力隊員として採用されます。


「町の人たちからは、何年も前からここにいるように思われているんです(笑)」という丹治さん

涌谷町ご出身の佐々木さんは、お花屋さんになりたいという想いを胸に高校卒業後に上京。全国に花店の加盟店を持つ法人が運営する専門学校に進学します。
佐々木さんは「その専門学校は、フローリストになるための基礎から実践までの全てを1年間で学ぶ養成校で、卒業後は都内の生花店に就職しました。お花屋さんになるための修行みたいな感じですね」と上京してから就職するまでの密度の濃い1年間を振り返ります。
「はじめは3年で涌谷町へ帰ってこようと考えていたのですが、それでは足りませんでしたね。結局は6年かかりました」と、佐々木さんには当初から地元である涌谷町に戻って来る計画があったようです。
また「そろそろ自分でやってみようかなという気持ちになったタイミングで帰ってきました。その時は24歳でした」と、2020年の3月にUターンした時の心境を教えてくれました。
佐々木さんのその言葉から、「自らお店を開く自信がついたら地元に戻る」という強い信念があったことがうかがえます。


東京都からUターンされた佐々木さん

それぞれの想いが重なった

丹治さんが地域おこし協力隊の任期を終え一般社団法人AuBlessを起業したのは2019年の12月のこと。その翌年の3月にUターンで涌谷町に戻って来た佐々木さん。
お二人が涌谷町での生活へ大きく舵を切っていくのはこの時期から。
その時はまだ知り合っておらず、丹治さんが追い求めていたのは一緒に活動してくれるアクティブな人材。佐々木さんが欲しかったのは店舗と人が集まれる場所だったそうです。
そんなお二人はその後、まちづくりに関わる人たちと繋がったことで出会いを果たすと、お互いの想いがシンクロするように意気投合します。
丹治さんと共にイベント開催等の活動を重ねた佐々木さんは、2023年の5月にAuBlessの敷地内にある納屋をリノベーションして念願だった店舗兼アトリエ「よるべ」を構え、丹治さんと拠点を共にすることになります。



「『よるべ』はあの場所の名前なんです。人が集まっていろいろやれる空間を作れたらいいな、って思っていたので」と丁寧な口調で教えてくれた佐々木さん。店舗「花叢」を含んだ空間全体を「よるべ」と名づけ、町内外のアーティストや事業者を招いて頻繁にイベントを開催しているそうです。
「面白いことやってるから『よるべ!』(寄るべ)という意味でこの名前にしました(笑)」と嬉しそうに語る佐々木さんでした。
一方丹治さんは「一人の時は、この広い敷地を活用しきれていなかったんですが、春香ちゃんが来てくれたことで、納屋とかをあんなに素敵な空間に変身させてくれて凄く良かったですね」といい「今はやってみたい事が思いつくと『やってみよ!』みたいな感じで軽く試してみることが出来るので。この前は私たちも楽しみながらミニカフェをやったりしたんです、凄く楽しかったね」という丹治さんに佐々木さんも同調。
また、佐々木さんはイベントなどの盛り上がりの様子をSNS等で配信しているそうで、
配信を見た人からの「この場所に来てみたい」という反響も大きく、人を集められる要素が増したのだと丹治さんは分析します。
「一人で出来ることもあったけど二人になっただけで違うんだな!と実感しています、やっぱり一人より二人ですね(笑)」と瞳を輝かせる丹治さんは、東京都に住んでいた頃にはフラワーショップと連動した飲食店を経営したいという想いもあったそうで、佐々木さんと出会えたことで「その夢がほぼ実現しつつあるところまで来ている」と明かしてくれました。


出会いのきっかけ

出会いのきっかけを作ってくれたのは涌谷町役場企画財政課の金野さんだと口を揃えるお二人に当時を振り返ってもらいました。
「金野さんからすごく素敵なお花屋さんがいるよ。と教えられて、繋がりたい!って思い、すぐに紹介してもらったのが春香ちゃんでした」と振り返る丹治さんは「金野さんと初めてお会いしたのは地域おこし協力隊の隊員になる前に、東京からボランティアで通っていた頃ですね。協力隊の担当窓口の方でもあったし、金野さんと出会えなかったらどこかで協力隊を辞めていたかも知れませんね(笑)」と、その存在の大きさを強調します。


「よるべ」の前で

佐々木さんは「金野さんから丹治さんを紹介してもらいまして、丹治さんのほうからAuBlessで開催していた『おひなあそび』というイベントへの出店を誘ってくれたんですよ。それに出店させてもらってそこからですね」と最初の一歩目を思い起こします。それまでは無店舗販売で自宅から商品(お花)を発送していたという佐々木さん。現在では丹治さんと同じ敷地内に店舗「花叢」を構え、イベント出店の他、ネットショップも運営しているそうで「マルシェやイベント出店では気仙沼市にも行くし長町や泉中央にも行きますよ!今度岩手県でも出店する予定です、いろいろなところに行くのが好きなんです(笑)」と嬉しそうな佐々木さんからもお仕事の充実ぶりがうかがえます。



この日、同席していただいた涌谷町役場企画財政課の金野主査と佐々木主事にお二人についてお話を伺いました。


左側が金野主査、中央が佐々木主事

金野主査は「丹治さんは協力隊になる前から存じ上げていました。突破力とアイディアを持ち合わせていて意志も強い方ですので、そのエネルギーで涌谷町には今までなかった新しい風みたいなものを吹き込んでくれています」と、丹治さんの活躍ぶりに一目置いている様です。また「佐々木さんも涌谷には居ない感性の持ち主でして、お花屋さんという切り口で涌谷町に新しい文化を作っていただいていると思っています。町外からどんどん人を呼びこんでくれているので、行政からするともはや新戦力ですね。お店の佇まいも『ここは涌谷じゃないんじゃないか?』と錯覚が起きてしまうほどの空間でホントいいです!」と、佐々木さんが及ぼす町への影響力の高さを説明してくれました。
金野主査は、ご自身も町の広報誌を作られている観点から地域を繋ぐという意味で、お二人と同じ役割の縁も感じているのだそうで「丹治さんと佐々木さんが一緒になったことで今までは“点”の力だったものが、まさに“線”としての力になってきていると思います」と付け加えます。



佐々木主事は「私は地元が石巻市で、今年度採用の新人なんです。私も所縁のない涌谷町に来た立場なので、ある意味丹治さんと同じところがあるなと勝手に思っていました(笑)。
もちろんお二人のご活躍は存じ上げていたのですが、今回ここに同席させていただいて、お話を直にお聞き出来るなんて、もう尊敬しかないです!」また「佐々木さんは一度は上京されて、また涌谷町に帰ってきて地域を盛り上げるために頑張られているところが凄いし、改めて感謝しかありません、お会いできて嬉しいです。」と感激を隠せない様子でした。


同じ移住者の立場としてもお二人を尊敬しているという佐々木主事

涌谷町産の食材を使ったレストラン“わくやキッチン”も運営

丹治さんは「天平ろまん館」内でレストラン「わくやキッチン」も運営されています。
「もともと地域食材を使った食事を提供するお店を出したかったのですが、実は私の中では優先順位がありまして、今はまだ素材(食材)と環境を作る段階だったんです。でもやはり人との繋がりですかね、いい具合に事が運んでレストランをやらせていただくことになりました(笑)」と、涌谷の人たちとの繋がりとご縁を強調。
この日は平日で「わくやキッチン」は定休日でしたが、取材の前に立ち寄ったところ看板メニューの「涌谷御膳」のメニュー案内を拝見することができました。
それによると、「涌谷御膳」とは涌谷町の郷土食「おぼろ汁」をメインに据えた郷土食メニューで、季節ごとに涌谷の食文化を味わえる人気メニューとのこと。
地元出身ではない丹治さんが、どのようにして地元産の食材を知り郷土食を作れるようになったのか、その経緯を詳しくお聞きしました。


涌谷の郷土食を作れるようになるまでの過程を話す丹治さん

「やはり食材の事を一番知っているのは生産者さんなので、生産者さんのところに行って見たり訊いたりしてきました」と何気なく語っていましたが、地元の生産者さんとの繋がりを構築するまでには相当の時間と努力があったことも教えてくれた丹治さん。
その明るく楽しそうに振る舞う姿からは、その様なご苦労は少しも感じ取れませんでした。
「協力隊の時は、作付けや収穫など、出来ることは何でも手伝っちゃえ!といったノリでしたね(笑)」と、生産者さんたちとの関係作りは地域おこし協力隊の隊員であった頃からの積み重ねのようです。また「そういう関係性が出来ると地元産の食材をたくさん頂けるんですよね。こっち(涌谷町)に来てから太っちゃいましたよ、まるでわらしべ長者ですね(笑)。皆さん『食べらいん』ってお裾分け感がすごくて」と、地元訛りも板についた丹治さん。地元の人たちに受け入れられる理由がうかがい知れます。



「このようなかたちで生産者さんたちと向き合っていくうちに、『この素晴らしい食材を多くの人にもっと美味しく食べてもらいたい』と思うようになったんです。それでいろいろ考えたりしましたね」という丹治さん。その結果、食事提案をしていけるようになり「おぼろ汁」などの郷土食を作れるようになったのだそうです。
「町民の70%程が何らかの生産者であると言われる涌谷町において、まずは生産者の魅力を知る事で食材ももっと活かすことでき、最終的には涌谷町の生産者さんのポテンシャルも上がると考えたんです」と、行動力の元になる理論的な戦略も語ってくれた丹治さんは、すでに多くの生産者さんとの繋がりを築いているそうで「どの生産者さんがどの様な食材を作っていて、どの時期に何が旬を迎えるかが把握出来てきたんです。なので毎週メニューを考えられるので『涌谷御膳』のようなメニューも提供出来るようになりました」と、ご自身が言う食事提案の意味を教えてくれました。


「何もないところ」といわれるのが悔しくて

古民家の納屋を店舗兼アトリエに変えた佐々木さんに、この場所への想いをお聞きしました。
「地元(涌谷町)に帰ってくると、みんな『何もないからね』って口癖みたいに言っていて、それが凄く悔しくて。それで私はお花屋さんを開いて涌谷町に拠点を置こうと決めたんです」と涌谷町にあえて拠点を置くことになった理由を打ち明けてくれました。
また「私が涌谷に戻って来たころ、丹治さんがここで活動の場作りをされているのを知って、それに凄く興味があったんです。そんな丹治さんとうまく繋がることができて、私にとってそれがとても良かったですね。そのお陰でイベントなどをやれるようになりましたから、それで決断することが出来ました」と佐々木さんは、活動の場を提供してくれた丹治さんへの感謝の気持ちも語ってくれました。



同級生のほとんどが県外に出ていて戻ってくる人も少ないという佐々木さんは、
「今の学生の子たちが一度は県外に出て、涌谷に戻ってこようと考えたときに集まれる場所があったらいいなと思っていたんです」と、ご自身の経験を重ね合わせる様に話してくれました。



また、佐々木さんには一度は県外に出たからこその気づきもあったといいます。
「涌谷町では当たり前だと思っていた雑草などが都会だと特別なものだったりしたので、そういうものを『お花の提案』として持ち帰って涌谷の人たちに知ってもらうことで、植物に興味を持ってもらえたらと思うんです」続けて丹治さんは「この辺にある雑草も春香ちゃんの手にかかるとアートになるんですよ、その発想が凄いんです」と、佐々木さんの発想力と植物の知識には一目置いているようです。
「今はお庭が無い家も多いですよね、その分植物との関わりが極端に減っていると思うんです。関わり方の工夫も必要ですね」という佐々木さんは、子供の頃に「老人クラブ」の人たちに教えてもらった「しめ縄」作りを、今でも季節ごとの植物で作るなどして楽しんでいるのだそうです。



「植物に興味を持ってもらえたら嬉しい」と言いながらお花に優しく触れる佐々木さん

佐々木さんのお話の流れで、思い出したように丹治さんがおしゃれな小瓶を持ってきてくれました。
それは丹治さんが作ったドクダミを使った虫除けだそうで、ほのかにミントのような爽やかな良い香りが漂ってきました。


ドクダミから作られた昔ながらの虫除け薬(丹治さん作)

佐々木さんは「ドクダミを虫除けに活用する事自体は、それこそ日本古来からなされてきたものなんです、最近ではこういう昔の暮らし的なこともフューチャーされてきているじゃないですか、植物が見直される良い機会なのだと捉えています」と、お話を聞くほどに植物や花卉についての知見の深さが垣間見れます。


かつては味噌蔵だったという佐々木さんの店舗兼アトリエ


そんなお二人に涌谷町でのお気に入りの場所をお聞きすると、
佐々木さんは「私は石仏公園が好きです。箟岳山の上にあって芝生が広がっていて綺麗なスポットなんです。何より人が居ないのが良くて(笑)心が落ち着く場所です、帰りに行ってみてください!」と、ご自身の出身地でもある箟岳地区の名所を教えてくれました。


石仏公園

丹治さんは「私はおばちゃんたちの所に行ってお茶っこ飲みですね(笑)美味しいものを頂いたりとか、何より色々なお話を聞かせてもらえるので勉強になるし心が安らぎます。一番の楽しみでもあり、私の原点ですから」といい、「気持ち悪いくらいの涌谷好き」と自称していたのが印象的でした。


「涌谷を大事にする人が大好きです(笑)」という丹治さん



「町の皆さんの日常が私たちにとって非日常で、私にとってのスペシャルティを皆さんは当たり前にやっているんです。それを町の人たちに伝えるのが私のミッションかなと思っています」と意気込む丹治さんと「『あそこで何かやっているね、なんだろう?』と地元の人たちに振り向いてもらえるのが今は大切かなと考えていて、私にはそれくらいのスピード感がちょうどいいと思っています。この場所がいいって思ってくれる人を大切にしていきたいですね」と遠くを見つめる様に語ってくれた佐々木さん。



それぞれの人柄が良く解る表現で今後の抱負を話してくれたお二人でしたが、ついお話に引き込まれ時間を忘れてしまうインタビューになりました。




お二人のご活躍はこちらからもご覧いただけます。

丹治奈緒子さん▼
Facebook(個人)https://www.facebook.com/tanji.naoko.3/?locale=ja_JP
Facebookページ(一般社団法人AuBless)https://www.facebook.com/AuBless/
レストラン:わくやキッチン(涌谷天平ろまん館内)https://tenpyou.jp/charm/restaurant/

佐々木春香さん▼
「花叢」公式サイト https://hanamura996.stores.jp/
note https://note.com/sasaki_996/
Instagram https://www.instagram.com/hrk_996/
Facebookページ https://www.facebook.com/hanamura.996/

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