MIYAGI

INTERVIEW

先輩移住者インタビュー

掲載日:2017年4月29日
更新日:2023年3月13日

気仙沼市

地域と馴染むハードルが低く、皆が移住者を歓迎してくれる。そんな“まち”が気仙沼。

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杉本陽子さん、吉田真一郎さん

とにかく住む人たちが優しい!

みやぎ移住ガイドでは、これまで宮城県内へ移住をされた数多くのインタビューを掲載してきましたが、今回は東日本大震災を機に震災復興ボランティアとして気仙沼市へ入られ、その後2014年11月に千葉県から気仙沼市へ“移住”された理学療法士の杉本陽子さんと、杉本さんの就業先の施設長である“生まれも育ちも気仙沼市内”の吉田真一郎さんにインタビューを行いました。

インタビューのきっかけとなったのは、介護関連職での気仙沼市への移住を希望されている「みやぎ移住サポートセンター」登録者の件で、県の機関である気仙沼保健福祉事務所へ協力を要請した事からでした。気仙沼市・南三陸町エリアでは医療介護系人材の確保が急務であり、移住者も対象となる様々な支援制度等が用意されていて、実際に医療介護現場で活躍されている移住者がいらっしゃる事から、このエリアでの医療介護系人材の確保に注力している取り組みを広報していきたいとの事で、ご紹介を頂いたのが杉本さんでした。

▼気仙沼保健福祉事務所
http://www.pref.miyagi.jp/soshiki/ks-health/

震災ボランティアとして気仙沼(大島)へ50回入る

東日本大震災では、杉本さんが住んでいた千葉県船橋市も影響を受け、ガソリンの入手をはじめご苦労をされていたそうです。ただ、そんな状況中でもより甚大な被害を受けていた東北沿岸部に対し「何か自分に出来る事はないか」と思い、震災翌々月の5月GWに宮城県岩沼市でボランティアに参加。そして7月の3連休で手伝える場所を探していたところ、たまたま入ったのが気仙沼市だったそうです。

その後、福島県南相馬市にもボランティアとして複数回入られたそうですが、一番多く入られた現場が気仙沼市。気仙沼港から船で30分の大島へ移住するまでに50回入られたそうです。ボランティアの現場では、様々な方たちが全国から集まってきていて、色々な現場で役立つスキルや経験を持っている方も多く、日々の活動へおおいに役立てている事から、「本当にすごいな」と実感されたそうです。

大学で工業デザインを専攻しデザイナーとして就職

大学で学んだ工業デザインの知識を活かし、工業デザイナーとして卒業と同時に就職。移住の直近までは、福祉機器のデザイナーとして千葉の事業所で就業をしていました。また、大学卒業後に夜間の専門学校に通い、理学療法士の資格も取得されたそうです。デザイナー自体は、職場の雰囲気も良く、仕事のやり甲斐も感じられていたそうですが、開発案件のため1日の終わりを感じられない事も多々あり、夜も遅いなど体力的にきつい状況でもありました。

そんな時にボランティアで入った南相馬の市立病院で「理学療法士急募」と書かれている紙を目にし、感じるものがありました。学生時代には登録制の介護ヘルパーも行っていて、楽しかった事と現場のイメージもある程度ついていました。被災地で困っている多くの方々から必要とされている仕事・職場であると感じ続けていた時に、震災2年目から見ていた気仙沼市の広報サイトで求人の募集を見て、応募の決意を固めました。

介護職としての就職活動。そして気仙沼(大島)移住へ。

2014年夏から就職活動を本格的に行い、いまの職場である『介護老人保健施設リバーサイド春圃』と出会い、施設への就職が決まりました。不安だった事は、資格はあるが勉強してからのブランクがあり、いままでの職種と変わる事でした。ただ、その不安は施設で働くスタッフには若い方も多く、吉田施設長をはじめとするスタッフの方々からの「一緒に頑張ろう!」と言う暖かい応援の言葉でした。

もう一つ不安だった事は、住まいを確保できるかという事でした。ボランティアを通じ仲良くなった地元の方々からは「こっちへ来て住みなよ」と仰って頂いていましたが、津波の影響から気仙沼市内では部屋を見つける事が難しく、住宅確保の関係で気仙沼への移住を保留されるケースも少なくない状況でした。そんな中、ボランティアとして通い続けた大島で、その時からの知り合いの紹介で、大島に部屋を確保する事ができました。ボランティア時代の取り組み姿勢や杉本さんのお人柄が、地域の方々を動かしたのだとインタビューを通じ、強く感じました。

杉本さんが気仙沼へ引っ越されたのは11月でした。大島から職場までは船で通うため、自由に行き来ができないので「ちょっと不便かなぁ」と思われたそうですが、いざ住んでみると小さな事は若干あるものの、気になるほどの事ではなく、すぐに順応できたそうです。また、気仙沼はまちもコンパクトなので動きやすいそうです。気候について、最初は寒いのではと思っていましたが、気仙沼や大島はあまり雪が降らず、過ごしやすいそうです。但し、海が近いため風が強く関東に比べれば寒いと感じたそうです。もっとも、降雪機会の少なさや寒さは、宮城県内では内陸部と比べると過ごしやすいエリアでもあります。

就業先の『リバーサイド春圃(しゅんぽ)』について

杉本さんが現在就業する『リバーサイド春圃』は、震災の影響により震災直前に100名いたスタッフのうち50名が退職されたそうです。避難所や仮設での運営の後、2013年に施設を再建するものの、看護士・理学療法士・作業療法士・管理栄養士などの人員配置基準を遵守する必要もあり、施設の将来を見越して吉田施設長自らスタッフの住まいの確保に奔走されたそうです。既存の住宅だけではなく、建設中の集合住宅や空き家等にも自転車で足を運び、住まいの確保に努められたそうです。

再建した時は、施設を早く再起動させるため、即戦力の人材を求めたが故に、現場で本来必要とされる姿勢や知識などが後回しになってしまい、スタッフの考え方がバラバラになってしまった事もあったそうです。資格や経験も大事ではあるが、気持ちや想いがある意味本当に大事なスキルであり、その部分を大事にしていきたいと思われて今日に至っているそうです。

▼介護老人保健施設リバーサイド春圃
http://riverside.kusanomikai.or.jp/

気仙沼生まれの気仙沼育ち!

吉田施設長は、生まれも育ちも気仙沼。それだけに気仙沼を熟知されているように思えるが、吉田施設長曰く「気仙沼の魅力や気仙沼には何があると聞かれると言葉につまってしまう」そうでした。生まれた時から当たり前のように過ごしていた環境が、移住者から観てみると違うように観える事を実感され、地元の人間は実は地元の事が観えていないのではと思われたそうです。2011年に神戸へ行かれた時に、震災前のまちの様子や当時のお店などについて地元の法人の方々からお話しを伺い、まちの事を知らないと外から来られた方の案内ができないと痛感されたそうです。そういう意味でも、外から来た方の視点は新鮮であり、地元の方は新たな気付きを得られるというお話しが大変印象的でした。

また、吉田施設長のお話の中で、もう一つ大変印象的だったのが、「介護施設は特別な就業場所ではなく一つの企業である」その上で、「市内企業としての責任を果たしているか」とのお言葉でした。介護施設ではなく一つの企業としてみれば、施設のご利用者だけではなく、新しいスタッフも相手を見る。介護施設・業界を特別視する事は例外をつくってしまい、そこに甘えが生じてしまう。だからこそ一企業として、自分が良かれと思うのではなく、常にご利用者・スタッフにとって何が良いかを考える事が必要であるとの事でした。また、全国的に人材の確保が急務である医療介護業界の中でも、被災の影響で利用されたい方々が数多い気仙沼において、新たなスタッフが辞めてしまうことは「市内企業としての責任を果たしていないのでは」と思えるため、このような姿勢で施設運営に取り組まれているそうです。

施設を利用されている方々も外から来た方を大切にし、それは言葉にも態度にも出ているそうで、そのような外からの方を大事にする文化が気仙沼には根付いており、杉本さんをはじめスタッフの方が体調を崩され少し出勤されないと、ご利用者の方々が心配されすぐに噂になってしまう(笑)そうです。杉本さんも「遠くから来てくれてありがとう!」と何度となくご利用者から声をかけられ、その度にとても嬉しい気持ちになるとの事でした。

杉本さんの現在と今後の目標

現在、杉本さんは平日週5日(土曜出勤が月1回程度)勤務をしており、仕事・プライベートともに日々充実した日々を過ごされています。プライベートでは、以前からされていた山登りへ予想外にはまってしまい、東北エリアの色々な山を登られているそうです。また、気仙沼は食べるものが美味しく、それぞれの食材の旬を感じられ、自然に合わせて暮らしている事が実感できるそうです。ちなみに、畑も大家さんに借りて挑戦し枝豆やトマトを育ててみたものの、初年度はあまり上手くいかなかった(笑)との事でした。ただ、土地が広くないと出来ないので、人の気分もゆたっりしていて、地元の子供たちも伸び伸びと育っているそうです。

また、大島と気仙沼を結ぶ気仙沼大島大橋が2018年度に完成予定であるため、地元の観光協会の青年部に参加しているが、地域の事やボランティアなどもいままで以上に、もっと積極的にかかわっていかれたいという希望もお持ちとの事でした。

仕事面では、基本的なところでしっかりと成果を出す事。当たり前と思われる事を大事にし、ご利用者をはじめ周りの方々から信頼され、ご利用者がやりたい事を実現できるようなサポートを行い、「杉本さんがリハビリ担当なら回復するよ。きっと治るよ。」と言って頂けるような存在になれる事を目標に、将来をイメージされており、そのためにも日々の努力を欠かさず、ご利用者やスタッフの方々とともに歩まれていかれたいそうです。

杉本さんとともに、吉田施設長が仰られていましたが、ご利用者の方も初めて施設に来られた時は不安な方も多い。それは初めて来られるスタッフも一緒。相手に合わせて迎え入れをしていきたいと思っており、人との付き合いを常に大事にし、向かい合おうとされているそうです。このような魅力的な地元の方と外から来られた方が一緒に過ごされているまち、それが気仙沼であり、気仙沼の一番の魅力・宝は気仙沼に住む“ひと”である事を何よりも強く感じたインタビューでした。

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