MIYAGI

INTERVIEW

先輩移住者インタビュー

掲載日:2024年11月11日
更新日:2024年11月11日

川崎町

自分の体一つで多くの人の役に立つ仕事を模索、その答えが農業だった/三浦隆寛さん 大沼繁幸さん

  • 地域おこし協力隊
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  • 農林水産業

三浦隆寛さん、大沼繁幸さん


川崎町で農業法人である株式会社耕不尽を営む三浦さんは仙台市ご出身、そこで一緒に農業に励む大沼さんは村田町のご出身です。お二人が生産するネギの収穫が最盛期を迎える9月の初旬に、JAさんからお借りしているという青果出荷所にお邪魔してお話を伺ってきました。

「川崎町の山は非常に良い山なんですよ」と噛み締める様に話す三浦さんは、川崎町地域おこし協力隊の4期生。卒業された2023年、株式会社耕不尽を起業されました。
一方「最初は手伝いだったのですが、やっていくうちに三浦さんと一緒に農業がやりたいなと思うようになりました」と言う大沼さんは、川崎町地域おこし協力隊員の2年目として活動中で、三浦さんが起業する前から農作業を手伝っていたそうです。


お互いに一目置いていた仲。農業への想いが繋がった

三浦さんの前職はトリマー(犬の美容師)、大沼さんは理容師。
出会った時期はお互いに前職の頃で、実家に帰って来ていた三浦さんがたまたま大沼さんが勤務される理容室に訪れたのがきっかけだそうです。


偶然の出会いを語るお二人。左が大沼さん、右が三浦さん

当時、自宅でトリミングサロンを開業していたという三浦さんは「その頃はトリマーをやりながら、犬の美容師の専門学校で講師をしていたんです。はじめは床屋さんには行かないで自分で髪の毛をカットしていたんですが、めんどうになってきて床屋さんに行くようになったんです(笑)」と、当時を思い起こします。


前職は「犬の美容師(トリマー)」でした。という三浦さん

大沼さんは「それから毎回来てくれる様になりまして、でもしばらくはお互いに話はしなかったんです、寡黙な感じで(笑)。何をやっている方なのかなって凄く気になっていましたね」と、はじめはお互いに距離を置いていたようです。


当時は理容師。三浦さんに興味を持ちつつも話しかけることが出来なかったという大沼さん

トリマーとしてハサミを使う仕事をしていた三浦さんは、大沼さんのハサミ使いのテクニックに一目置いていたそうで「大沼君の『シャキシャキシャキ』と鳴らすハサミの音が、上手な人の音なんですよ。こういう人のテクニックを見て自分の仕事にも活かしたい、そう考えてそこに通うようになったんですよ」と大沼さんが居る床屋さんを選んだ理由を打ち明けてくれました。


大沼さんのハサミ音を称賛する三浦さん

三浦さんは、過去にトリミングの世界大会でチャンピオンに輝いた経歴をお持ちだそうです。(アメリカのラスベガスで開催の「SUPER ZOO」で開催されたトリミングコンテスト)

その後、三浦さんは農業への転身を志すと川崎町地域おこし協力隊に入隊。川崎町で協力隊の活動に励みながら地元の農家さんとの関係も深めていきます。そんな三浦さんの話を聞くうちに大沼さんも農業への想いが芽生えていったのだそうです。大沼さんは「はじめは仕事である理容師をやりながらの手伝いでしたが、理容師の仕事から離職し川崎町へ。今では川崎町地域おこし協力隊の隊員になって2年目です。協力隊員になれたのも、ここで農業に関われているのも全部三浦さんのお陰なんです」と、三浦さんへの信頼の厚さを強調。

大きな転身を果たしたお二人ですが、お互いの存在を尊敬し大切にする気持ちが随所に垣間見れる話しぶりが印象的でした。


農業への想いと「師」の意志の継承。扉を開いたのは「地域おこし協力隊」

「とにかく農業がしたかったんです」と語る三浦さんにその理由をお聞きしました。
前職ではトリマーとしてお店を開業しながら、専門学校の講師もされていた三浦さん。
その頃も、トリマーとしての姿を見てもらい、それを目標にしてくれる若者を増やしたいという熱意のもと、人の役に立てる喜びを感じていたそうですが、自分の身体一つでもっと多くの人に直接的に役に立てる仕事が他に無いか模索する毎日だったそうです。
三浦さんは「もっともっと多くの人の役に立ちたいと考えるようになったんです。そこで農業のたくさんの人に食物を供給できるという点に惹かれていったんです」と農業へと心が動いた過程を明確に話してくれました。



農業への転身を決断した三浦さん。はじめは自宅のある仙台市から通いながら農業をする計画だったそうで、川崎町を選んだのも自然豊かでありながら仙台市に隣接しているという地の利から。
しかしすぐには足掛かりを作ることは出来なかったといいます。
「もともとは一人で川崎町に乗り込んで、一人でも農業するぞ!くらいの覚悟と志で臨んだのですが、なかなか思うようにはならなかったですね。とにかくここで農業がしたくて川崎町の農林課を訪ねたりしましたが、現実の壁は思ったより高かったです。わかってはいましたが」と、当時を振り返ります。
しかし川崎町地域おこし協力隊の事務所に相談に訪れたのを機に三浦さんに転機が到来します。

地域おこし協力隊の隊員になれたことで色々な人と出会えて、そこから扉が開いたという三浦さん。その出会いについて詳しくお聞きすると、「私に農業を教えてくれたのは丸森町で被災された伏見さんという方でして」と、ご自身を農業の道へと導いてくれた方のお話しを切り出します。



三浦さんによると、伏見さんは当時64歳。被災した丸森町の耕作地をすべて引き払い、川崎町に土地を求め一から農業をやり直したのだそうです。その当時の伏見さんに出会った三浦さんは、農業への信念に共感しその熱意に惚れ込むと伏見さんに師事。そのまま開拓作業に加わったのだそうです。


伏見さんへの想いを語ってくれた三浦さん

伏見さんから受け継いだ広大な耕作地

三浦さんは「ほぼ荒野だった土地を重機を使って開拓していったんです。ビニールハウスや作業小屋なども全部自分たちで建てたんです。それに私も関わらせてもらいました」と、地域おこし協力隊に属したことで知り合えた伏見さんへの感謝の意を滲ませながら話してくれました。
ところが伏見さんは、耕作地の開拓を終え農業の地盤を築いたところで三浦さんに全てを委ね丸森町に戻られたそうです。伏見さんから、後継者や担い手の育成といった農業が抱える課題の解決には『法人化』が必須であることを常々話されてきたという三浦さんは、協力隊を卒業してすぐの2023年6月に株式会社耕不尽を立ち上げます。「私はその伏見さんが作り残してくれた耕地をそのまま引き継いでやらせてもらっています」と凛々しく語ってくれました。



一日が終わるのがとにかく早い、充実の暮らしを噛み締める

三浦さんの農業への情熱に魅せられ、川崎町地域おこし協力隊の隊員になった大沼さんは移住2年目。三浦さんという先駆者のお陰でこの町のコミュニティにもスムーズに溶け込めたといいます。「どこに行っても『ああ、あの三浦さんですね!』という反応で、三浦さんが築いた信頼関係の深さを感じています」続けて「農作業はもちろん、軽トラ(マニュアル車)の運転まで、何から何まで手取り足取り教えてもらいました」と自身にとって三浦さんの存在はとても大きいと話す大沼さんは「一日が終わるのがとても早いです。それだけ毎日が充実しているという事なんでしょうね」と汗を拭いながら語ってくれました。



また、大沼さんは農地に併設して養蜂も手がけているとのこと。「畑の近くでやれるものなので何とかやっています(笑)。養蜂は運もありますからね」と謙遜する大沼さん。
そんな大沼さんについて三浦さんは「二ホンミツバチってそう簡単には巣箱に入らないんですよ。大沼君は凄いんです。協力隊になって1年目でミツバチが入ってきたんです」とフォロー。


大沼さんが養う二ホンミツバチの巣箱

また「とても難易度が高いといわれているタガメの羽化(卵から成虫に育てること)に成功した男なんですよ(笑)」と大沼さんの生き物に対する人並外れたセンスを賞賛し「大沼君のこのセンスは農業に活かせると思っているんです」と言葉を弾ませます。



川崎町の活性化につながれば

地方創生の一端を担う地域おこし協力隊での活動を終えて三浦さんが思ったのは、「地域おこしって何なのか?」という奥の深い疑問。それもあって「自分には何が出来るのか?をいつも考える癖がついてしまいました(笑)」といいます。

そんな三浦さんは、少しでも川崎町の活性化や地域おこしに繋がればという想いから、大沼さんと一緒に中高生対象の農業体験や、シルバー人材センターへの農作業の委託などの地域活動も幅広く展開しています。「8割がた空回りですね(笑)だから地域おこしって難しいんですよね!」そう言いながらもその爽やかな笑顔からは充実感が伝わってきます。



今年は人数の関係で実施を見送った「ネギ祭り」という体験型収穫祭の他、地元の中学校からは毎年依頼をもらい農業体験を提供しているそうです。また柴田農林高等学校(川崎分校)との共同企画では、耕不尽の起業から現在までの経緯や、経営理念などを授業で取り上げてもらい、高校生の就職活動の一助となっているそうです。


「ネギ祭り」の写真をデスクの引き出しから出してきてくれました



4年後の展望「仲間を一生支えられる会社に」

現在はJAさんの出荷所を借り受けて作業をしているという三浦さん、倉庫兼作業場を建てる計画もしっかり立てられているそうで、今後の展望をお聞きすると「就農計画は5年で作るんですが、現在、1年目が過ぎてあと4年なんです。4年後にはここまで大きくなくていいので作業場と事務所を建てる計画なんです」と、さらに「ネギラーメンを出す飲食店と直売所も併設し、それと大沼君が養蜂できるんで養蜂所も作りたいんです」と、今後のビジョンは明確。



また「人を雇うってとても大変だとは思うんですが」と前置きしたうえで、「仲間を増やすことを目指しています。その仲間を一生支えられる会社にしたいですね」と、濁りない言葉からは経営者としての意気込みも強く伝わってきました。






お二人に川崎町の良いところをお聞きしました

三浦さんは、川崎町の山はほかにはない強力なパワーを感じるとても良い山なのだと教えてくれました。「実は私、狩猟の免許を持っているんです。狩猟期になると宮城県内の山に猟のために入れるようになるんですけど、川崎町の山は動物たちのレベルがちょっと違うんです、人間と共存しているというか。だから川崎町って結構頻繁にクマが出没するんですが、その割にはニュースとかにあまりならないんですよ、人を襲わないから」また「蔵王山脈はとても険しい山なので非常に美しい水源があると言われていて水もすごく美味しいんです」と、川崎町は自然派には堪らないところだと教えてくれました。



昆虫が大好きという大沼さんは「今借りている一軒家は青根に行く途中の人里離れたところにあるんですが、蝶々とか珍しい種類の昆虫が来るんです。『ミヤマカラスアゲハ』とか、とても綺麗なんです。そういうのが家の周辺で見ることができるんです」さらに、水生昆虫も大好きだそうで「タガメを卵から成虫に育てたんですが、それは本当に大変でしたね。水も上手く循環させないといけないんです」と、今では川崎町でも生体の確認が難しいと言われる水生昆虫について眼を輝かせて話してくれました。



最後に、お二人に「川崎町の人たち」の印象を伺うと、「最初は上手く溶け込めるか不安はありましたね、でも自分から動いていくうちに、だんだんと受け入れてもらえた感じがします。いったん理解してもらえると、一気に食事に呼んでもらえるような仲になるんです」と三浦さん。

「私の場合はやはり三浦さんの存在が大きくて、三浦さんが築いた人間関係があるので受け入れてもらいやすかったです。もしも三浦さんがいなかったらどうなっていたかわかりませんね(笑)」という大沼さん。

三浦さんは「この広い耕作地ですから、正直なところ二人だけでは手が回らないのですが、地域の方々が自らお手伝いしてくれるんです。ホントありがたいです。この町の人たちってそういう人たちなんです」と感謝の気持ちを滲ませます。


「時間あっときに手伝ってんだ」と素敵な笑顔を見せてくれたのは、
ご近所で自動車整備会社を経営されている石井信隆さん。
この日も三浦さんたちのお手伝いに汗を流しておられました


この日は、作業場の出荷場から畑のある耕作地へと移動しながら丁寧にお話をしてくれたお二人。
いつしか私たちもお二人のお話に引き込まれ、気が付けば夕暮れが迫っていました。
川崎町の人たちが作業のお手伝いをしてくれるのは、町民の気質だけではなくお二人の人柄もあっての事なのでしょう。





終始お互いを思いやり気遣うお話しぶりに、私たちも心が温まるインタビューとなりました。


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