MIYAGI

INTERVIEW

先輩移住者インタビュー

掲載日:2016年2月19日
更新日:2023年2月21日

南三陸町

移住先はやりたいことから決めた街、南三陸町/高橋未來さん

  • 古民家・空き家
  • 就業

髙橋未来さん

南三陸町との出会い

高橋さんは東京生まれ東京育ち。仕事で一時大阪に住んだ時期もありましたが、再び東京へ戻り、東京中心の暮らしを送っていました。2012年8月に初めて南三陸の街を訪れ、まだまだ復興が進んでいない被災地の現状を目の当たりにしました。以前から現場を見て考えて行動するのが好きだったという高橋さん。メディアを通してみるものと現場で実際に見るものの違いを感じ、「何かできることはないか?」と、被災地沿岸部で活動できる場所を探しました。

加納さん移住者

結果として東京から南三陸に移り住み、現在は南三陸町観光協会職員として主に修学旅行等の旅行の受け入れを担当するかたわら、震災・防災関連のプログラム開発に携わっています。高橋さんにとって移住した先は、場所で選んだのではなく、やりたいことを探った結果でした。

古民家十年計画

居心地のいい場所

「居心地の良い街を作りたい。」
高橋さんの夢は聞けば聞くほどどんどん広がりを見せてくれました。大学では建築を学んでいたという高橋さんにとって、ひとつの建物を造るというよりは街づくりへの関心が大きかったといいます。住民が気持ちよく過ごせる街、すなわち、訪ねる人にとって居心地の良い街だと高橋さんは考えています。

高橋さん自身、最初は一年のつもりで南三陸町に来たのが、この街の人々の魅力を感じ、この先も長く居続ける気持ちに変わりました。震災は悲しい出来事だったけれど、こういう経験をしたからこそ人にパワーを与えることができる。ここに住む人たちが元気なパワーを絶やさずに進んでいける街になることを高橋さんは願っています。

「小さな宿を開きたいんです」
移住してから二度の引っ越し。震災の影響で住まいがなかなか定まらなかったと言いますが、地元の方々との深まりの中から最近になって理想に近い家を借りることができました。ご自身の手でじっくり時間をかけて古民家を修復し、人が集まる場所をつくりたい。春に結婚したばかりのご主人も、東京での仕事を辞め、南三陸町へ移住しました。
現在は歌津地区で羊を飼う仕事をされています。お休みの日は古民家の修復や、藍染めの藍の栽培準備のために遠方に赴くことも。将来の夢についてキラキラと輝いた笑顔で話す高橋さんにゆっくり寛ぎの時間ができるのはだいぶ先になりそうです。

気仙沼iju

手を上げればチャンスはある!

今はまだ住まいを整えるのが困難であるというのが被災地南三陸町の現状でもあります。この先、南三陸町含め、沿岸部への移住を考える人たちのネックになる部分でもあり、住居問題が解決していけばもっと住みやすい街になってくるのではないかと高橋さんは考えています。
まだまだあらゆる面において不便な部分も多いとはいえ、生活のために手に入らないものはないので困ることはないそうです。普段の生活はむしろ、都市部のような通勤ラッシュもない、ストレスは環境が癒してくれます。採れたてのお野菜や海産物を頂くことも多く、生活費はあまりかからないとのこと。

物々交換を楽しむことができるのも魅力の一つでもあるといいます。たとえば都市部にしかないものを欲した時は、それを旅の楽しみに変えています。不便なところを不便と思わず、ポジティブな姿勢で今の生活のひとつひとつを楽しみに変えていく。「子供もたくさん欲しいんです。できれば四人、あ、でもできればあともう二人・・」たくさんの子供たちに囲まれ、地元の方々と街も子供も育てていく高橋さんの未来が目に見えるようでした。何かしたいと思って手を挙げればチャンスはいくらでも広がる。南三陸町という街についてそう語る高橋さんの夢は確実に前へ前へ向かっています。

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