IYAGI
INTERVIEW
先輩移住者インタビュー
掲載日:2025年10月21日
更新日:2025年10月21日

加美町
「帰ってきてよかった!」四季折々の美味しさと夢を乗せて走らせる黄色いキッチンカー/荒井千鶴さん
- UIJターン
- 地域おこし協力隊
- 起業・開業
荒井千鶴さん
黄色いキッチンカーと共に、地元産の食材で仕込んだお弁当を提供する荒井千鶴さんは加美町のご出身です。
一旦は地元を離れ関東圏で就職しますが、生まれ育った故郷への想いが募りUターンしました。
今では「千鶴さんのお弁当」を求めるファンの期待に応えるために多忙な毎日を過ごしています。
そんな荒井さんのこれまでを辿りながら、今の暮らしぶりやお仕事について伺ってきました。

宮城県の北西部に位置する加美町は緑が美しい自然豊かな町です。県内でも有数の町域面積を誇り、その約7割を山林が占めるという町の全容は、山岳と高原が織りなす眺望が美しく季節ごとの表情を満喫することができます。また、”加美富士”と称される町のシンボル“薬萊山”が悠々と鎮座し町を見下ろす風景はまさに絶景です。

お邪魔してインタビューしてきました。
「もっと絵を学びたい!」高校進学を機に仙台へ
加美町の小野田地区で生まれ育った荒井さん。ご実家は農業と酪農を営んでおり「小さい頃から絵を描くことが好きで、実家で飼っていた牛を絵に描いていましたね」と幼少の頃から絵に対する想いが強かったそうです。

やがて高校受験をむかえた荒井さんは、絵を学びたい一心から美術コースが新設された仙台市内の高校への進学を希望します。親元を離れる事もあり、はじめは反対していたご両親も、荒井さんの情熱に心動かされ親元からの巣立ちを応援してくれたそうです。
「反対だった両親でしたが、校長先生が後押ししてくれたのもあって最終的には私の夢を受けとめて応援してくれました」と、言葉を紡ぐように振り返ってくれた荒井さん。その様子からはご両親への感謝の気持ちが伝わってきました。
夢を見つけ実直に進み続ける
念願だった高校に進学し下宿生活が始まった荒井さんでしたが、そこには刺激に溢れる高校生活が待っていました。「学区が関係ない学校だったので、県内のいろいろなところから来た人との出会いや、見るもの、起こることがとても衝撃的で世界が一変した感じでしたね(笑)」と、高校生活を振り返ります。その頃から映画館へ頻繁に足を運ぶようになったそうで「スクリーンの中の世界にすっかり魅了されまして、それで『美術セット』を作るお仕事があることを初めて知ったんです」という荒井さんは、山形県の東北芸術工科大学へ進学。「美術セット」の仕事への憧れを胸に4年間絵を描き続け、埼玉県にある大道具の会社に就職します。

「就職活動の際には、自分は何をしたいのか?と改めて自分と向き合ったのですが思い浮かぶのは、やっぱり映画館で見た美しい世界でした。自らの手で作り上げる美術の仕事がしたかったんです」と、当時の心境も教えていただきました。
忙しさに追われて湧いてきた「故郷への募る想い」
4年間の大学生活を山形県で過ごし、そのまま埼玉県の大道具の会社に就職した荒井さんは、夢に描いた映画の美術セットを作る仕事へ向けて日々邁進します。
「主にテレビ番組のドラマやバラエティのセットなどの制作を担当し、映画のお仕事にも関われる様になってきて、やりがいもありました」という荒井さんでしたが、順調でありつつも忙しさに追われる毎日に、徐々に体に不調をきたすようになっていったそうです。

「『いつまでこの働き方で頑張れるのかな?』と考える様になってきたのと同時に故郷加美町への思いも募っていった感じですね」と、その頃から故郷を思い起こすことが多くなったと言います。
東日本大震災。そして美味しい野菜
そんな折の2011年に起きた東日本大震災。荒井さんの眼に飛び込んできたのは、地元である宮城県が被害に見舞われる様子でした。そんな状況をメディアを通して見ていることしかできない自分がもどかしく、居てもたってもいられなかったと言います。
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そんな思いに駆られ、仕事がひと段落したタイミングでボランティアとして宮城県石巻市へ。
そこで炊き出しを担当した荒井さんは、限られた食材でメニューを考え、なおかつ栄養バランスが重要視される食事作りを経験します。食事を通して被災者と触れ合う時間を持てたこともあり、この経験から今に繋がる大きな知見を得ることができたと当時を回想します。

荒井さんは「自分たちが作った食事がこんなにも感謝され、食べたみなさんの嬉しそうな顔を見ていると『食べることは生きること』なのだと強く実感できたんです」と力を込めます。また「美味しい野菜を当たり前のように食べていた加美町の環境や、暮らしの豊かさを思い出したんです。これで宮城県に戻るイメージが鮮明になりましたね」と、Uターンのきっかけを明かしてくれました。
また「早くに親元を離れたため、故郷への愛情や想いが人一倍強かったんだと思います」と、自身の経験にも触れ地元愛を語ってくれました。その後「夢だった今の仕事をやり切った」と確信を持てるまで全うしたところで、宮城県へのUターンを果たすことになります。
地域おこし協力隊として故郷へ
2017年に宮城県にUターンした荒井さん。しかし当初は地元・加美町に戻るという意識はあまりなかったそうで、まずは県内で採れた野菜でもてなす飲食店をイメージして働き先を探し始めます。そうした中で地域おこし協力隊の存在をはじめて知ったそうです。

「ある日、母から『地域おこし協力隊っていうので町に来ている人がえらい頑張っているよ』って言われて、えぇ、そんな人いるんだ!?」と、その時のエピソードを教えてくれました。
荒井さんはその隊員さんが実家の近くの耕作地で汗をかき奮闘する姿を眼にし「移住してきた人が加美町のためにこんなに頑張っているんだから、加美出身の私が頑張らなくてどうする!」と奮い立つ気持ちになったそうです。協力隊についていろいろ調べ「やるしかない!」と確信して役場にアプローチし、その年に加美町地域おこし協力隊に着任します。

協力隊員となった荒井さんは、加美町の野菜を四季を通して一から学び直したいという想いと、お祖母さんが作った野菜を卸していたというご縁もあって、活動先に「やくらい土産(どさん)センター」を選びます。
接客のほか、美術畑で培ったスキルを活かしてのPOP制作や、自作のスムージーの販売など様々なお仕事に従事。「そこで生産者さんとアクセスできた事で、地元の野菜の事だけではなく生産者さんのお人柄も深く知ることができた」と荒井さんは言います。
また「生産者さんの毎日のご苦労があってこそ、当たり前のように美味しい野菜が食べられるんですよね」としみじみ語ってくれました。

改めて加美町の野菜と生産者に惚れ込んだ荒井さんは、その時に「薬萊山が見える場所で飲食店を開業する」という目標が具体的になったと言います。
コロナ禍でも夢へ向かって
しかし協力隊の任期を終える2019年頃にコロナ禍の波が押し寄せます。
お店を持つという夢に向けて準備を始めていたさ中に状況が一変。飲食店の開業が厳しくなったことをきっかけに、事業計画を練り直す事に。荒井さんは「地元の野菜を使った美味しいご飯を配達するのはどうか?屋外での飲食だったらどうだろう?だとかをいろいろ考えてキッチンカー事業を思いつきました」と、当時の事情とキッチンカー事業を始めた理由を教えてくれました。

また、荒井さんが採取し加工する「クロモジ茶」事業も同時に展開。加美町の特産品として発信しています。クロモジ茶は加美町の自然豊かな山林に自生するオオバクロモジの枝を使ったお茶で、その樹木は古くから高級爪楊枝としても利用されてきました。


黄色いキッチンカーが目印!「KamiRu」誕生
2021年、「KamiRu」の屋号で黄色のキッチンカーをオープン。
今では、「KamiRuのお弁当」を目当てにファンが列をなし、出店するや早々と売り切れになる事もあるそうです。

その人気の理由は、やはり加美町の旬の農産物をたっぷりと使用し、荒井さんが一つ一つ手づくりしている事にあります。それは荒井さんが培った生産者さんとの信頼の証でもあると言えるでしょう。
「お客様に喜んでもらいたい一心で、立ち上げからの3年間はメニューを変え続けましたね」と、軌道に乗るまでの並々ならぬ努力も明かしてくれました。

Uターンする前は生活にゆとりが欲しくて帰って来たはずが、「結局、今もその頃とあんまり変わらないですね(笑)」とあっけらかんと笑う荒井さんは、ご自身でお弁当の仕込み・詰め込み・販売をするほか、SNSなどで情報発信するなど忙しく毎日を送っています。
「休みの日とか『配達してくれますか?』なんてご連絡いただくこともあるんですよ、でもお世話になっているし断れないですからね、結局休みとかも関係なくなりますよね(笑)」とご自身の性格にも触れて今のお仕事ぶりを語ってくれました。

この日、インタビューに同席くださった加美町役場ひと・しごと推進課の菅原主事にもお話を伺いました。

菅原主事は、主に移住者の受け入れや協力隊事業のサポートなどに従事されていますが、荒井さんの「KamiRu」開業時には町の広報を担当していたそうで、取材を通して深い関わりが生まれたそうです。
オープン当初はコロナ禍もあり販売にはずいぶん苦労していたとした上で「役場にも月に一回販売に来られていまして、職員もみんな千鶴さんのお弁当食が大好きで『すごい美味しい!』ってとても人気なんです!」と言葉を弾ませる菅原主事。ご自身も「千鶴さんのお弁当のファン」を自称しています。

お二人の姿に私たちもつい笑顔に。
また「千鶴さんは、地域おこし協力隊入りを検討されている方や、移住希望者にも地元で採れた農産物いっぱいのお料理をふるまってくれて、会話だけでなく食を通しても加美町の魅力を伝えてもらっています。先輩として現役の隊員たちにもアドバイスをしてくださるので、本当に心強い存在です!」と、信頼の堅さも強調。

菅原主事によると、地域おこし協力隊事業を県内で初めて行った町としても知られる加美町は、協力隊へのサポートも手厚く、退任後も加美町に移住し就農や起業する方も多いとのこと。
「加美町のいいところは、自然豊かで四季の移ろいを感じられるところです。温泉やコテージなどの施設も充実していて、とにかく一度来てもらえれば実感してもらえると思います!」と眼を輝かせます。

大好きな「栗パト」。それはなくてはならない時間。
無類の栗好きだという荒井さんは「季節になると空いた時間に栗スポットへ『栗パト』(栗パトロール)しに行きます(笑)この時間が私にとってなくてはならないひと時なんです」と、加美町の恵みあっての贅沢な楽しみも教えてくれました。まるまると実った艶のある栗は、味が濃厚な上にホクホクとしていて、季節のメニューとしても振る舞われるそうです。

そんな荒井さんは「春は田んぼに水が広がり、夏は緑の絨毯が広がる。秋は山が色づきはじめ、冬には白鳥が飛来する。その景色を観るたびに『帰ってきてよかったなぁ』って思えるんです」と眼を細めます。

加美町の伝統野菜「小瀬菜大根」(こぜなだいこん)を守りたい
加美町には約150年ほど前から栽培されている伝統野菜「小瀬菜大根」があります。
荒井さんによると、名前はこの野菜が栽培される小瀬地区に由来し、根が小さく主に茎と葉を食べるという日本では唯一の特徴を持った大根だそうで、エグみが少なくシャキッとした食感がとても良い野菜ながら、現在は生産者が少ない事から希少な存在となっているとのこと。

Uターンし協力隊で活動するまでその存在を知らなかったという荒井さんは、同時に生産者さんが僅かしか居ない現状も知る事に。「加美町にこんなに誇れる伝統野菜があるのに、このままでは消滅してしまうんじゃないかと危機感を覚えました」という荒井さんは、知人の呼びかけで「小瀬菜大根応援隊」の結成に加わりました。それ以来キッチンカーを走らせながら応援隊としても活動中です。
荒井さんは「小瀬地区の畑で種を蒔いて収穫体験をやったり、イベント出店のほか町内の小学校で出前授業なども行っています」と、小瀬菜大根の普及活動を具体的に教えてくれました。
もちろん、旬を迎える10月~11月にはKamiRuのお弁当にも「小瀬菜メニュー」がお目見えするそうです。

今後のビジョンをお聞きすると「最終的には薬萊山を眺められる場所にお店を構えること」と即答。
現在はキッチンカーとクロモジ事業の傍ら新しく移住された方のサポートまでこなし精力的に活動していますが、それはあくまで目標に向けての通過点。
また、高校入学と同時に親元を離れ、その時々の夢に向かって邁進し駆け抜けて来た荒井さんに、その原動力は何かとお聞きすると「『故郷』への想いがあったから!」としたうえで、「加美町に『面白いことをやっている人がいるね』って思ってもらえる様に頑張ります!」と、意気込みも示してくれました。

最後に「親を想うことは地元を想うことなんですね…」と、呟くように言ってインタビューを締めくくってくれた荒井さん。
その穏やかな語り口と、窓の外から差し込む木漏れ日が妙にシンクロして、心地よい余韻が残るひと時となりました。

荒井さんのご活躍ぶりはこちらからもご覧いただけます▼
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