IYAGI
INTERVIEW
先輩移住者インタビュー
掲載日:2018年4月19日
更新日:2023年2月21日
涌谷町
俺がやらなきゃ誰がやるの?涌谷町/湯浅輝樹さん
- 地域おこし協力隊
湯浅輝樹さん
「俺がやらなきゃ誰がやるの?」
涌谷町役場から車で5分程、真新しい家が立ち並ぶ一角。まっ白い壁に手入れのされた家庭菜園、駐車場にバイク…『仙台まで通勤圏内!仕事も趣味も満喫、ペットものびのび―涌谷町で豊かな新生活スタート!!』不動産の宣伝にぴったりの、充実したくらしがうかがえるお宅に到着すると、大きなワンちゃんも出迎えてくれました。
肩書きからの空き家の活用か町営住宅…かっこいい古民家かも!という想像を見事に裏切られました。涌谷町の地域おこし協力隊・湯浅輝樹さんのご自宅です。役場でも責任者と間違える程に風格の漂う湯浅さんは46歳。涌谷町の協力隊は応募時の年齢制限が45歳までです。募集要項を手にした当時45歳、自分のための制度だと思い「俺がやらなきゃ誰がやるの?」即応募し、現在に至っています。『地域おこし協力隊』というと、もっと若い世代か、逆にリタイア世代のイメージがあります。さらに新築の自宅まで登場し、私の想定外を行く湯浅さん。どのような経緯で地域おこし協力隊になったのか、興味深くお話を伺いました。
仙台からの移住
湯浅さんは北海道出身の仙台市育ちです。大学卒業後にサラリーマンを数年経験後、20代で起業し、以来10年以上仙台市を拠点に商店街や商業施設の活性化事業を展開して来ました。2011年は女川町で定期的なイベント開催を控え、何度も現地へ赴き、準備を進めていました。そんな中での震災でした。「1週間前に訪れたばかりで、知り合いもいる女川町のことは他人事にならなかった」と湯浅さんは振り返ります。仙台市と女川町を行き来しながら支援活動を始め、女川町に株式会社onagawa factoryを立ち上げました。『魚の形をした滑らかな木のキーホルダー』と言うとご存知の方が多いかもしれません。新しい女川の象徴にもなっているアイテムです。
東北一の大都市・仙台市は女川町の活動にも重要な拠点となりました。しかし、仙台市から女川町までは2時間余。頻繁に通うには近い距離ではありません。仙台市と女川町の中継地点にある涌谷町が湯浅さんの目に止まりました。「商店街の衰退、地域の人口減少、少子高齢化…どの地域にもある問題で『地域間の連携強化』が解決の鍵になる」と湯浅さんは考えていました。そこで自らが女川町と涌谷町、そして仙台市の3つの地域を繋ぐ役割を買って出たのです。早速、湯浅さんは涌谷町に新居を建てることにしました。
家を構えることは覚悟の表れ。周りからすれば大歓迎に違いありません。地域にどっぷり入って、共に地域を盛り上げてくれる、そんな湯浅さんへの期待と信頼は一層増したはずです。とはいえ迷いはなかったのでしょうか。「これから増えるスタイルだと思う。人生設計が変わります。家を建てるにも土地の価格が仙台の1/10、同じ給料でより豊かな生活が送れますよ」と、潔い湯浅さん。大型ショッピングセンター、コンビニが近くにあり、渋滞もない…実際に住んでみると予想以上に便利で、涌谷町がハブに成り得る場所という期待は今では確証に変わったと言います。
唯一、湯浅さんが気がかりだったこと言えば、ずっと都会暮らしのお母様のことでしたが、いざ越して来ると自分より先に近所に馴染んでいたそう。百貨店でのショッピングが楽しみだったというお母様も「食べ物が新鮮でとってもおいしい」「近所の方が採れたての野菜をくださったり、色々誘っていただいて」以前より外出も増えたと嬉しそうです。「仙台のお友達から“涌谷が楽しすぎて、最近電話してもつながらない”なんて言われちゃうの」朗らかに笑う様子からも涌谷ぐらしの満喫ぶりが伝わって来ました。
役場職員の仕事
さて、涌谷町でくらし始めた湯浅さんは平日は役場の『まちづくり推進課』職員として、就業後や休日は女川町の事業をと、二足のわらじで活動しています。女川町での事業をスタッフに任せられることが強みになっています。ただ住むだけとは異なり、色々な情報とネットワークのある町と関わることは、地域間連携にもってこいです。もちろん、涌谷町には事業と今後の展望も伝えた上での協力隊任命です。「町の理解は本当にありがたい」と湯浅さんは感謝を口にしました。町の期待を感じながら、事業経験を元に課題の整理整頓、仕組みづくりに励んでいます。
キャリアがある身で飛び込んだ湯浅さんに、周囲や業務上での戸惑いはなかったのでしょうか?「涌谷町は受け入れてくれる地域性がある」と湯浅さん。偶然同じ課に同級生がいたことも幸いし、働きやすい環境とのこと。また、民間企業と異なり『公平性』を重んじる役場の考え方は湯浅さんに特に新鮮で、貴重な体験の場所となっているそうです。
言葉以上に伝わること
被災地で事業を立ち上げ、挑戦し続ける湯浅さんに苦労を尋ねると「大変なことも、苦労したことも、数えきれないほど」と苦笑されました。自分の自慢話も苦労話もしない湯浅さんは、背中と気配で語ります。その気概は十分伝わって来ました。そんな湯浅さんがまちづくりの中で大切にしていることは「すりあわせ」。正解は解らないことが多く、何が間違いかも解らない…それぞれのまちへの想い・考え方の違いを聴き、少しずつ共通点を探り進めていきます。
描く未来
「まちづくりは短期間でできるものではない」と断言する湯浅さん。自身が核となった地域間連携が少しずつ始まっています。つい先日女川町で開催した涌谷町の農産物販売会ではしっかりとした手応えを掴んでいます。「女川と涌谷、関わった人みんなが喜んでくれた」そこには湯浅さんの理想の姿がありました。この日一番の嬉しそうな顔で湯浅さんは話してくれました。
この場所を拠点に今後も地域と共に生きる覚悟を決めている湯浅さん。「団塊ジュニア世代の自分たち世代だからこそできることがある」大学受験、バブル崩壊、就職氷河期…と、常に競争しながら過ごして来た自身を振り返り穏やかに青い闘志を燃やします。
湯浅さんにはきっと、失敗も負けも存在しないのでしょう。無駄なプライドのない、強くしなやかな竹のような生き方をする湯浅さんは、自らの手で必ず勝ちに行く人。その覚悟が滲む湯浅さんに魅かれ、信頼を置き、仲間が集います。あの日から始まった、東北を未来に繋ぐ湯浅さんのまちづくりはますます目が離せません。
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