MIYAGI

INTERVIEW

先輩移住者インタビュー

掲載日:2019年3月1日
更新日:2023年2月21日

気仙沼市

よそ者、若者と熱く化学反応。「何もないまち」から、「可能性しかないまち」へ。/加藤拓馬さん、加藤航也さん、千葉可奈子さん、藤田美貴子さん

  • UIJターン
  • 地域おこし協力隊
  • 地域づくり・交流

加藤拓馬さん、加藤航也さん、千葉可奈子さん、藤田美貴子さん

気仙沼市唐桑地区の復興支援のボランティアを経てまちづくりに関わり、地域のために活動する若者を増やそうと一般社団法人「まるオフィス」を立ち上げた兵庫県出身、加藤拓馬さん。大学時代に復興ボランティアとして訪れ、加藤さんの思いに賛同して、「まるオフィス」で理事として活動を共にする福井県出身の加藤航也さん。気仙沼出身で地域おこし協力隊としてUターンし、まるオフィスが委託運営する「気仙沼市移住・定住支援センターMINATO」でターンコーディネーターとして働く千葉可奈子さんと、結婚して隣町の南三陸町から移住した、同じくターンコーディネーターの藤田美貴子さん。「個々の暮らしがい、働きがいが社会全体の価値になる」と移住相談や若者の地域教育に携わる皆さんに、移住の経緯や地域への思いを伺いました。

震災をきっかけに。海にまちに人に惹かれて。

―気仙沼に移住したいきさつは?
加藤(拓)さん 東日本大震災の復興支援がきっかけです。震災は大学を卒業し、就職するタイミングで、このままスーツを着て東京で働くことに違和感があったんです。内定を断って、がれき撤去のボランティアに来ました。唐桑地区に知り合いのつてで入り、長く滞在する中で現地の責任者としてボランティアを受け入れる側になりました。最初は半年か1年くらいのつもりでしたが、2012年からは地域創生の取組で復興まちづくりに携り、翌年から復興支援員として勤務。そうした関わりの中で「徐々に」移住したという感覚です。

加藤(航)さん 震災の年の夏、大学4年生のときに震災ボランティアとして、いとこの(加藤)拓馬を頼って唐桑に来たことが気仙沼に関わるきっかけでした。大学卒業後は民間企業に就職しましたが、休みを利用してたびたび訪れていました。拓馬が代表として若い人を巻き込みながらまちづくりに役割をシフトさせていく様子を見て、2015年のまるオフィスを立ち上げから仲間に加わりました。自分なりのペースでつながりを続けていた中で役割を得てこちらに移住したという経緯です。
今シェアハウスに移住者の男性3人で住んでいます。ボランティアなどで大学生が気仙沼に来たときに、宿泊する場がないと聞けば泊めることもあります。長く泊まっていると愛着がわいてそのまま移住することもあるんですよ。

千葉さん 大学で関東に出て卒業後も築地の会社で経理事務の仕事をしていました。震災があって地元を気にしながら働いていましたが、自分の人生、本当にやりたいことをやろうと考える機会があり、東京で開催する東北の交流会に足を運ぶようになりました。2016年12月に交流会で市の移住・定住支援センターの仕事を紹介され、ようやくUターンできました。気持ちはあるのに地元の情報がなくて動けない、帰りたいけど帰れなかった自分の経験を役に立てられると思いました。

藤田さん 12年前に結婚して隣の南三陸町から主人の実家のある気仙沼に来ました。小学校で特別支援員として勤務した経験から、福祉の仕事に興味を持ちました。でも子育てしながら働こうと思うと仕事の選択の幅が狭い。移住したい人の中には、子育てしながら働きたい人やこれから結婚を考えている人もいます。これまでの経験を生かして相談に乗れると思いました。

一歩踏み出した人の、チャレンジを受け入れる土壌

―まちづくり、人づくりにも関わっている皆さんにとって、ここでの働きがい、暮らしがいとは?

加藤(拓)さん 働きがいでいえば、「替えの効かない存在」になれるということですね。ある経営者の人が、「東京でひとつの歯車になる意味と違って、気仙沼では顔の見える歯車だ」と言っていました。悪く言えば属人的であることになりますが、肩書ではなく、個人としての認め合い方です。小さな社会なので、リアクション、レスポンスが早くて近い。まちづくりの最初の活動でフリーペーパーを4000部作ったのですが、例えば渋谷で同じくらい配っても反応ないだろうけど、こちらでは直接電話が掛かってくる。その中には「ありがとう」だけでなく、叱られることもありますが10提供したら、15くらい何か返ってくるイメージ。挑戦を受け入れる土壌がある。
復興に携わる中で、大きなことを言うのは簡単だけど、6000人くらいの唐桑地区で何もできなければどこに行ってもだめだと思ったんです。もともと人見知りなのですが、ここで人間関係というものをちゃんとつくってやってみようと思った。そうしたら、居心地が良くなって、唐桑半島から出る理由がなくなってしまったんですね。

千葉さん 「地元はつまんない」という友人の意見に、「私は楽しむぞ」と決心して帰ってきたら、最初からすごく楽しいんですよ。なぜかと考えたひとつは、消費者と生産者のポジションが決まってないところ、例えばマルシェがあります。地元の婦人会の若手で何かやってみたらと薦められ、おしゃれな朝市がいいねとなってマルシェを立ち上げました。そういうイベントは、イベンターやデザイナーがやるものと思っていましたが、自分たちで出来た。東京では買う人は、作る人が作ったものを買うだけですよね。作る方はクオリティーの高さや値段で判断されるけど、ここは、例えば私がパン屋をやりたくてパンをつくってマルシェで売ったら、そのチャレンジに対して応援してもらえる。一歩踏み出せば、世界が変わるのが気仙沼だと気が付きました。

藤田さん 私の地元の南三陸も同じく津波で流され失くしたものも大きかった。だからこそ、どう生きていこう、幸せとは何だろうということをみんなが気付くことができた。だから「やりたいことは、やってみよう」となるのだと思います。

加藤(航)さん 気仙沼は、住む人の9割が市内に通学・通勤する「暮らすと働くが県内一近いまち」。そのためか、人との関係を大切にした丁寧な暮らしをしている印象があります。
実家のある福井市は人口30万人の都市で町の輪郭が分からなかった。自分たちの暮らしをよりよくするために力を尽くす、そういう世代に出会えて、一緒にいると新しいことが起きそうな、楽しい大人がいっぱいいるところに惹かれました。しかも外から来た自分も参加できる余白がある。今もこのまちはここからまた新しいことが起こりそうなワクワク感があるんです。

加藤(拓)さん 哲学を持った大人が多く、「人」に惹かれるのはありますね。漁師町だからか、自分が船頭で、「自分はこんな風に生きてきて、これからこう生きていく」という思いがある人が多い。いわゆる「がんこおやじ」ですが、人を認めてくれる余白がある。

―暮らしに関しては?
千葉さん 相談窓口の移住希望でも、海が見えるまちであり、食べ物がおいしいというところが人気です。気仙沼港は日本の中でも大きな港であがる魚も種類が多い。スローフードの町として食が豊かなことを上げる人も多いですね。

加藤(拓)さん まさに今、義理の母が食の豊かさにはまっています。子どもが生まれたばかりなので東京から手伝いに来ているのですが、食卓に並ぶ料理が全部ご近所からもらう食材で出来て毎日テンションが上がっていますよ。大根を使い切ることに頭を使うって都会の生活ではなかなかないですよね。空いた時間には自然が多いその辺をブラブラして楽しんでいるようです。週末だけこちらに暮らす「2拠点移住しては?」と薦めています。
個人的には、唐桑半島の海や浜が好きで、豊かな暮らしだと思っています。でも人口の減り方がすごくて、消滅する町に数えられている。ここの暮らしがなくなったら絶対に後悔するはず。100年後もこのまちの営みを続けさせたいと強く思っています。ここでの自分のモチベーションは今、被災地だからという理由ではないんです。

藤田さん 子どもの居場所づくりをしてくれる団体やコミュニティーがたくさんあります。子育て中の人にとっては、暮らしの中のそういう情報が欲しいといわれますね。震災後に(ボランティアやまるオフィスの人たちのような)こういう方々がきてくれて、地元の人は気仙沼の良さを再認識できたのだと思います。加藤さんたちと大学生や高校生が地域について真剣に語るのを見て驚きました。何もないと思っていたのに、今や可能性しかないんじゃない?って。若者が地域を愛する土壌をつくってくれているから、もし地元に戻ってこないとしても、ここで学んだ気持ちは絶対に支えになると思いますね。

加藤さんたちは、気仙沼というまちを「とにかくエネルギーのあるまち。たくさんの人が外から入ってきて地元の人といい化学反応を起こしています」と楽しげに語ります。自分たちの取組から日本のほかの地域にも生かせる、「気仙沼モデル」をつくりたいと考えているそう。地域の未来を思う熱い若者が集まる活気あふれるまちでは、どの年代も自分なりの人生の豊かさを見つけられるかもしれません。

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